年に一度の大事な日だから

。起きてください、
「・・・」
「朝食が冷めてしまいますよ」
「んー・・・」

マルクト帝国首都 水の帝都グランコクマ。
カーティス邸別棟 ジェイドの私室。
白いシーツに包まって健やかな寝息を立てる恋人を起こすべく、もう10分は同じ事をしている。
ジェイドの声に反応はするものの、深い眠りから目覚める気配はなくて。
髪を手で梳きながら眺める寝顔もまた可愛いと思う反面、そろそろこれにも飽きてきた。

「まったく・・・いつまでもそう無防備に寝ていると襲いますよ?」
スプリングを軋ませて、の体を跨ぐように半身をベッドに乗せる。
耳元で囁けば髪の毛から仄かに良い香りが漂った。
昨夜、腕に抱いて眠った時の事を思い出し理性が緩みそうになるのを、冷えた耳にくちづけをする事で自制する。
さてどうしようかと考えていると彼女の重い瞼が開いた。ぼんやりとした目がこちらに向けられる。

「・・・・・・ジェイド?」
「他の誰かに見えますか?」
惜しいなと心の中で呟きながら緩く微笑む。
ベッドの中で眠そうに目を擦るの頭を撫でると、その手に彼女の手が触れた。
掌から腕を辿り、襟までその手は伸ばされて。大人しくその行方を見守っているとジェイドの軍服の首が少しだけ締まった。

「!?」
突然、強い力で引き倒されたジェイドは成す術なくの右隣、いつもの定位置へ収まった。二人分の重さを支えるスプリングが軋む。

「ちょ、」
「まだ・・・寝る、の」
ぎゅっと体を寄せられ、首にはの顔が押しつけられる。
左腕は彼女の頭の下に、右手だけは自由だったが身動きは取れなくて。
「・・・勘弁してくださいよ」
こんな風に甘えられたら、朝から誘われてるものと勘違いしそうになる。
沸き上がった衝動を理性で塗り固めて、の体に腕を回したついでに目を閉じた。

「冷めてましたね、やっぱり」
「・・・ごめん」
「あれから30分も寝てれば当然ですが」
「や、ジェイドの温度がちょうどよくて・・・つい」

が目覚めたのは今さっきのことで。寝起きにキスをしたら枕を当てられたのは、まぁ余談だ。
ジェイドが朝食を温め直す横でが二人分のコーヒーを入れる。朝はコーヒー、夕食後は紅茶というのが二人の間で決めたルールだった。

「今日は何か予定が?」
「代理屋の仕事がいくつかあるけどグランコクマからは出ないと思う」
そっちは? とトーストを齧りながらが聞き返す。

「会議が何本かあるだけですからそんなに遅くはならないと思います」
「夕食は?」
が作ってくれるなら」
「じゃあ楽しみにしてて」

ごちそうさま、と手を合わせて席を立つ。
ジェイドが身支度を済ませる間にテーブルの上を片づける。廊下を歩く音が聞こえたので洗い物の手を止めて、見送りのために玄関へと向かう。
が着くともうブーツを履き直していて。くる、とこちらを振り返った。

「では、いってきます」
「いってらっしゃい」
いつもどおりの挨拶を交わしジェイドの手がの頬に触れる。

「誕生日おめでとう、ジェイド」

自分のものが触れるより先に、ちゅっと音を立てて唇を奪われる。
その行動にか、はたまた言葉にか。数秒間ジェイドは驚きから冷めることが出来ず。
早く行きなよと笑うに背を押され、扉を閉められてからやっと頭が回転して。

「・・・それはずるいですよ」
赤く染まった顔を片手で覆い隠しながら、思い切りため息を吐いた。

「おかえり、ジェイド」
「・・・ただいま」
午後9時。予定よりも遅くなったがなんとか帰宅。玄関を開けるとが壁に寄り掛かって待っていてくれて。
抱き締めた体温が暖かくて、知らず顔が緩んだ。

暫くそれを堪能してから、洗面所で用意されていた部屋着に着替える。普段ならシャワーを浴びてから夕食にするのだけれど、今日は遅くなってしまったから後回しだ。
リビングへ向かうと良い香りが鼻をくすぐった。
「これはまた豪華ですね」
ちょうど二人で食べきれそうな量と豊富な料理。
ワイン合いそうなオードブルが数種類。しかも全て自分の好物で。

「楽しみにしててって言ったでしょ?」
「ふふ、そうでした」
の料理の美味しさはもうずっと前から知っている。経緯は覚えていないが、ケテルブルクホテルの料理長に認められた事もあった。
あまり好んで食べないもの、例えば豚肉でも意外なほど美味しいと感じる事もあって。だから彼女の手料理に関しては、好き嫌いに関係なく食べられるのに。
素直に嬉しい。

「ではいただきましょうか」
「んー、でも・・・」
「何ですか?」
「あれ、見なくていいの?」
席につきかけたところで制止をかけられて、彼女の指差す方に目を向ける。
そこには山のように積まれた箱。それが何か理解するのに暫しの時間を要した。

「あぁ、プレゼントですか。別に見なくていいですよ」
「ネフリーと兄さんからのはそこに置いたけど」
「さすが、仕事が早いですね。  3つありますが?」
「一つはサフィールからだよ」

薄紫色の包装紙でくるまれたそれに記された宛名を確認したジェイドは、積まれたプレゼントの山にそれを投げ返す。
「そっちのものはカーティス家へのゴマすりでしょう。明日にでも本邸の一部屋に運ばせますよ」
「サフィールのも?」
「あれはゴミ箱に入れるべきでしたね」
間違えましたと平然と言ってのけるジェイドに、哀れなサフィールはいつまでも片思いのようだとは小さく笑った。

「前から思ってたけどジェイドってモテるよね、男女問わず」
サーモンをフォークで刺しながらは言う。
自分で言うのもあれだがなかなかの出来だ。美味しい。
ネフリーからのプレゼントはケテルブルク産のワインで、ジェイドも好んで飲むものだそうだ。先月彼女と会った際に誕生日にはワインを贈っているのだと話してくれたから、今日のメニューに出来たのだった。

「男に好かれた覚えはありませんが・・・いきなりどうしたんです? 嫉妬でもしましたか?」
「なんとなく。嫉妬ではないと思う」
「そこは形だけでも嫉妬していただけませんか?」
「ああ、ごめん。そういうことじゃないのもあるけど、信頼してるから嫉妬はしないと思う」

カーティス家へのゴマすりだとジェイドは言ったけれど、あのプレゼントの山の中にはきっといくつもの本命が紛れている事だろう。
ジェイドの魅力も良いところもよく知っているし、分かっている。自分が気づいているという事はすなわち他人も同じだという事で。
咀嚼を終えてワインを一口、喉に流し込みながらジェイドを見ると、僅かに見える彼の耳が少し赤くなっていた。
珍しく照れている様子のジェイドに、照れの理由は分からずとも少し満足した気持ちがやってくる。そして唐突にこの感情の名前が思い浮かんだ。

「あ、わかった。独占欲だ」
「はい?」
「ん、さっきのジェイドがモテるって話。ジェイドの魅力とか良いところは私も皆も知っていて、それは当然なんだけどなんか引っかかるなって。その理由がわかってすっきりしたよ」

笑顔で言い終えたは、目の前のジェイドがテーブルに肘をついて片手で頭を抱える様を見て驚いた。
彼が食事中のマナーを破る事などほとんどないからだ。具合でも悪いのかと聞けば、違いますと首を振られる。

「食事中に申し訳ないのですが、今すぐ抱き締めてもいいですか」
「だめです」
「ではキスで我慢しましょう」
「我慢・・・?それもだめです」
「つれないですねえ」

心底残念そうに肩を竦めるジェイドに、食事が終わったらねと一言加えると、彼はひどく嬉しそうな顔をした。
目尻が下がるその表情も好きだよと、は心の中だけで呟いた。

「ところで、は何もくれないのですか?」
食後、紅茶を蒸らしている間にジェイドの要望を叶えたはその言葉に首を傾げた。
「え、いるの?」
「無いなら無いで、まあ構わないのですが。欲を言えば」
ネフリーとピオニーからのプレゼントの話が出た時に、から何も渡されない時点で予想はしていた。
予想はしていたけれど、実際に言われるとショックは大きい。
いいや、これだけ手の込んだ料理を振る舞ってくれたのだ。プレゼントとしては十分過ぎる。とはいえ、何か一つだけでも形に残るものが欲しかったというのが本音だった。

「プレゼント、迷惑そうだったからいらないのかと思った。ちょっと待ってて」
ソファテーブルに紅茶を置いた後、はリビングへと戻っていった。
その後姿を追っていると、彼女が座っていた隣の席から何やら袋を取り出していて。
「はい、どうぞ。私からのプレゼントです」
  ありがとうございます。開けても?」
ソファの隣に腰かけたに尋ねれば、彼女はこくりと頷いた。

袋には二つの箱が入っていて、とりあえずどちらも取り出す事にした。
長方形の長細い箱と、正方形の小さな箱。正方形の箱に内心ドキリとしながら細長い箱のリボンを解く。

「これは・・・!」
「色々悩んだんだ。気に入ればいいけど」
入っていたのは新しい眼鏡だった。
シルバーの細い縁で今よりもレンズが一回り小さく、モダンの部分が薄らと紅く色づいていて。

「今使っているやつ、調整してるとはいえちょっとずつ合わなくなってるよね?」
「ええ、そうですね。調整の間隔が短くなってきています」
「だからジェイドの譜眼に合うように新しく作ったんだ。音素の収集効率も制御性も良くなってるはずなんだけど」
の言葉を聞きつつ新しい眼鏡を掛ける。
いつ採寸したのかは知らないがサイズもぴったりで、今まで掛けていたそれが玩具に思えるほど。さすがに音機関に関しては敵わないなと心の中で笑ってしまう。

「・・・気に入らなかった?」
「とんでもない。有り難く使わせて頂きます。早く譜術を試してみたいものです」
自分の表情を窺うように控えめに尋ねる彼女を、感謝の気持ちを込めて髪を梳くように撫でた。
そうして微笑むとつられたようにも笑ってくれて、ジェイドは堪らず頬に唇を寄せた。もう一つの箱も開けてみて、と促されそれを手に取る。
同じようにリボンを解き箱を開けた。

「これは、のピアスですか?」
「うん、色と性能違いだけど。デザインは極力同じにした」
「性能?」
「少量の音素で譜術が使えるの。増幅器と思ってくれたらそれで間違いないよ」
これも自作なんだと少し自慢げには話す。わざわざ音素振動数まで調べて専用に作ってくれたようだ。
手にとってみると綺麗に施された細工が赤と青に良く映える。

・・・予期せぬお揃いに喜んでいた私から残念なお知らせです。私は耳に穴を開けていません」
「私も開いてないから大丈夫。右と左、どっちにつける?」
は・・・左耳ですか。では私は右で」
わかったと頷いたにピアスを渡す。
眼鏡を外し髪の毛を避けるとの手が耳に触れる。短い譜が唱え終わるのと同時に、彼女の手が離れる。
手で触れてみてもずっと前からそこにあるかのようによく馴染んでいて。鏡が見たいと告げればが持って来てくれた。

「似合いますか?」
「うん。よく似合ってる」
渡してもらった鏡に映る自分の耳につけられたピアスを眺めて数分、鏡越しにに問いかければ穏やかな声が返ってきた。
鏡をソファテーブルに置いて彼女を抱き寄せれば、その身を預けてくれる。

「素敵なプレゼントをありがとう、。ずっと大切にしますね」
「うん、気に入ってもらえたなら嬉しい・・・んだけど」
「どうかしましたか?」
「もの凄く今更なことを言ってもいい?」

肩に置かれた重みが消え、の正面から上目遣いでこちらを見る。
シャワーを浴びた後だからかいつもより少しだけラフに流れる前髪が、彼女の色気を引き立たせていて。長い睫毛と少し薄めの唇、相変わらず整った顔立ちにもう何度目かも分からないが見惚れてしまう自分がいた。
そんな事はおくびにも出さず口元には笑みを浮かべて、どうぞと促す。

「もっと色気のあるプレゼントの方が良かったんじゃないかって思わない?」
「・・・はい?」
「いやだって普段から使えるとはいえ全部実用的なものだし、なんていうかこう・・・恋人の誕生日に贈るものとして相応しいのかどうか」
「・・・ふふっ」
「でも色気のあるプレゼントって考えても思いつかない・・・待って、今笑った?」
「ああ、すみません。あまりに可愛くてつい笑ってしまいました」

そう口にしたらは不服そうな顔をしたけれど、不可抗力だとジェイドは心の中で言い訳をする。
だってそうだろう。何よりも愛おしい恋人が時間も手間もかけて準備してくれただけでも嬉しいのに。もっと喜んでくれる何かがあったんじゃないかと考えてくれているのだ。

「でも、そうですね。それならすぐにでも用意できますよね」
「? どういう・・・あ、いや、待って違うそういうことじゃない」
「色気のあるプレゼントもくれるのでしょう? 待っているなんてとんでもない」
「だからそういうことじゃないって! ちょ、聞いてる!?」
「聞き入れません」

抵抗する声も腕も全部抱き締めて、深く深く口づければ少し涙目で睨む彼女の頬が熱を帯びていた。
こんな表情を見られるのも、こんな時間を過ごせるのも、すべて自分だけの特権なのだと思うと愛おしさがより一層込み上げてくる。結局、ソファでの行為はNGが出たので仕方なく先にシャワーを浴びる事になった。

日付が変わるまで残り一時間。
今日の内にどうしても隣に居てくれる事への感謝と、こんなにも幸せだという事を伝えたい。何者にも代え難い、誰よりも大切だと思えるあなたに。
「あいしている」、と告げたいのだ。

Happy Birthday to Jade!!