我が家の常識
ND2001 シルフデーカン・レム・14の日
その日は朝から家の様子が異なっていた。
普段であればキッチンに立つのはエミリアで、ヴァネットはソファで本を読んでいるか自室で武器の手入れをしているかなのに。
「おはよう、お父さん」
「ああ、おはよう。もうすぐ出来上がるから座って待っていてくれ」
「うふふ、お父さんのお料理楽しみね」
そう言いながら後からやってきたのはエミリアで、キッチンに立っているのはヴァネットで。
は何が起きているのかさっぱり分からないまま、大人しく彩られていくテーブルを眺めていた。
デニッシュ生地に野菜やチーズ、燻製のハムを挟んだパン、オムレツ、ミルクとジャガイモのスープ、フルーツサラダ。
今日は一体何の日なのだろうと思いながら、おいしそうな食事を前に手を合わせた。
朝食後、エミリアの座学の後に続いた譜術訓練を終え、家の掃除をするという彼女の手伝いをする。
外出をしていたヴァネットが食材を買って戻ってきたと思ったら、再びキッチンに籠っていた。
いよいよおかしい。
は意を決してエミリアに問いかけた。
「お母さん・・・お父さん、どうかしたの?」
「ん?どういうことかしら」
「だって、お母さんの誕生日にしか料理しないお父さんがずっとキッチンにいるよ?」
何かあったの?と言外に問えば、エミリアは少し目を丸くして、その後柔らかく笑った。
「そうね、普段お料理しないお父さんが急にお料理し始めたらびっくりしちゃうわよね」
「そうか・・・の中で俺はそういう位置付けか」
「あら、間違ってはいないわよ?」
後ろから聞こえてきた声に驚いて振り返れば、がっくりと肩を落としたヴァネットがいた。
エミリアはいたずらっぽく笑っていて、ヴァネットはそれを見て拗ねたように唇を尖らせた。
「掃除、もう少しかかるなら手伝うぞ」
「ううん、これを片づけたらもうお終いだから」
「じゃあ私が片づけてくるから、二人は先に戻ってて」
エミリアの手にあったブラシとホースを引き受けて、は庭の隅の倉庫へ駆けて行った。
背中にかけられる「ありがとう」の声につい頬が緩む。
豚肉と海苔とネギのパスタ、ニンジンのサラダ、ワカメと豆腐のチキンベースのスープの昼食を終えたところで、ヴァネットはエミリアとをソファに呼んだ。
腰かけて待っていると目の前にティーカップが用意される。
並々と注がれたそれに口をつけると、ヴァネットがそれぞれに箱を差し出した。
「いつもありがとうな、エミリア。も、俺からの感謝と愛情を受け取ってくれるか?」
「ありがとう、ヴァネット。嬉しいわ」
「あ、ありがとう、お父さん」
もらったプレゼントの包みを開けようとして、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「ねえ、お父さん、お母さん。今日はなんかの日なの?」
「あら、はバレンタインデーは初めてなのね」
「バレンタインデー?」
「ああ、そうだ。いいか?今日はな、男が女の人にプレゼントを贈る日なんだ」
バレンタインデー。
男の人が女の人にプレゼントを贈る日。
その言葉を反芻して飲み込んで、更なる疑問を口にする。
「なんでバレンタインデーには男の人が女の人にプレゼントを贈るの?」
「そうだなあ。諸説あるが・・・俺は大切な人に感謝と愛情を送る日だと思ってる。もちろん日頃からエミリアにもにも感謝しているし愛しているが、年に一度、改めてその気持ちを表す日があってもいいだろう?」
な?と爽やかに微笑んだヴァネットは、エミリアに頬を寄せられると途端に良い意味でだらしのない表情になった。
二人のいちゃいちゃは日頃から見慣れているが、なぜか今日は特別優しく映った。
「でもね、。一つだけ覚えていて欲しいことがあるの」
「なに、お母さん?」
「バレンタインに贈るプレゼントはね、大切な人 例えば恋人や親友、兄妹にしか贈るべきではないのよ」
「もし多くの女性にプレゼントを贈っている奴がいたら、そいつは信用しちゃいけないぞ」
「ん・・・ちょっと難しいけど、わかった。覚えておくね」
そうして頷けば、向かいに座ったエミリアに手招きをされる。
立ち上がって近づけは、ヴァネットにしたのと同じようにの頬に唇を寄せた。
驚いたを余所に、ヴァネットも額へ同じように。
一気に顔が熱くなるのを感じて、それを誤魔化すように二人に抱き着いた。
頭を、背中を撫でてくれる手はとても優しく温かだった。
「世間とは逆のバレンタインを信じ込ませることに成功したわけだけど、本当に良かったのかしら」
「うちのバレンタインの作法を教え込んでなにが悪い?」
「だって、それだけが理由じゃないでしょう?」
「・・・にはずっと黙っていてくれ・・・あの子がバレンタインに男にプレゼントを贈るなんて耐えられん・・・」
「はいはい。まったく、しょうがない人ねえ」
俺は許さん、恋人なんて絶対に許さん。と早過ぎる心配をするヴァネットをエミリアは少し呆れた表情で宥めていた。