19.死神

連絡船キャツベルト
指一本を船尾の手すりに引っ掛けて、駆け込み乗船に成功したは、船員の案内の元一行の集まる部屋に到着する。
ノックの後、いつもの通り名乗ったはジェイドからの入室許可を待って扉を開ける。それぞれの位置を確認したは、常のごとく入口の扉の真横に立った。

「そんで何だっけ? ローレライ? 同位体? 音素振動数? 訳わからねー」
「ローレライは第七音素意識集合体の総称よ」
「音素は一定以上数集まると自我を持つらしいですよ。それを操ると高等譜術を使えるんです」
「それぞれ名前が付いてるんだ。第一音素集合体がシャドウとか第六音素がレムとか・・・」
「はー、みんなよく知ってるな」
「まあ・・・。常識なんだよ、ホントは」
「仕方ないわ。これから知ればいいのよ」

おや、と部屋の中にいる誰もが思った。ティアのルークに対する態度が軟化している。これまでであれば「家庭教師にそんなことも習わなかったの?」という嫌味の一つも向けていただろうに。
それをあえて口にしたのはアニスだった。二段ベッドの上に腰かけながら唇を尖らせている。

「なんか・・・ティアってば、突然ルーク様に優しくなったね」
「そ、そんなことないわ。そ、そうだ! 音素振動数はね、全ての物質が発しているもので、指紋みたいに同じ人はいないのよ」
「ものすごい不自然な話の逸らせ方だな・・・」
「ガイは黙ってて!」

これをムキになっていると言わずになんと言うのだろう。珍しく取り乱すティアの様子を観察しながら、は話を耳に入れていた。咳払いを一つしてティアは言葉を続ける。

「同位体は音素振動数が全く同じ二つの個体のことよ。人為的に作らないと存在しないけど」
「まあ、同位体がそこらに存在していたら、あちこちで超振動が起きていい迷惑ですよ」
「!」
「同位体研究は兵器に転用できるので、軍部は注目していますねぇ」
「昔研究されてたっていうフォミクリーって技術なら、同位体が作れるんですよね?」

超振動に反応を示したのはルークで、フォミクリーに反応を示したのはジェイドとイオンだった。
誰も何も言わないから不自然な間が空く。アニスがほんの少し首を傾げて瞬きをした。この場で最も自然で適切な返答を行えるのはジェイドだとは知っていたが、彼は沈黙を選んでいた。

「フォミクリーって複写機みたいなもんだろ?」
「いえ、フォミクリーで作られるレプリカは、所詮ただの模造品です。見た目はそっくりですが音素振動数は変わってしまいます。同位体はできませんよ」
「あーもー! 訳わかんねっ! 難しい話は  

ルークの言葉は荒々しく開かれたドアの音によって遮られた。振り返った視線の先にいるはずの人がいない。代わりに転がるようにキムラスカ兵が入ってきて、廊下で銃声が響いていた。

「た、大変です! ケセドニア方面から多数の魔物と・・・正体不明の譜業反応が!」
「いけない! 敵だわ!」

全員が臨戦態勢を取る。鋭く空を切った槍は今まさに剣を振り下ろそうとした神託の盾兵の甲冑の隙間を貫く。間髪入れずに譜術が廊下を走り、断末魔が反響した。扉から顔を覗かせたのは、いなくなっていただった。

「大佐、廊下の制圧が完了しました。魔物を掃討しながらブリッジの確保のための行動を開始します。ご許可を」
「いいでしょう。先陣は任せます。掃討を最優先、侵入者の生死は問いません。極力船に傷をつけないように」
「承知しました。主犯は如何しますか」
「見つけ次第、殺して構いません。  と言いたいところですが、死なない程度に痛めつけておきなさい」
「はい」

返事の後、は走り去る。少し遠くの方から悲鳴が聞こえる。ジェイドは具現化した槍を腕の中に戻していつもの通りポケットに両手を突っ込んだ。その顔には平時と同じ笑みが浮かんでいた。

が敵の相手をしている間、我々は主犯格を探しに行くとしましょう」
「お、おい・・・いいのかよ、あいつ一人で」
「ええ、問題ありませんよ。むしろこの狭い船内では我々が近くにいた方が足手まといになります」
「では、私たちは主犯格及びブリッジの確保を優先するんですね」
「そういうことです。さ、行きましょう」

ブリッジに向かう道には、音素乖離の最中の魔物や神託の盾兵がいくつも倒れていた。ブーツの裏が血だまりを踏む度にルークはため息を漏らす。人間と戦わなくていいのはありがたかったが、こうも死体だらけの道を行く羽目になるとは。汚していないはずの手に汗が滲んで、余計に苛立ちが募る。

「・・・なんか、外の方うるさくねえか?」
「誰かが戦っているのかもしれないわ。いってみましょう」

甲板へと続く外の通路に出た一行は、キャツベルトの船員から怪しげなロボットが逃げていくのを目撃する。話を聞けば譜石の欠片を奪われてしまい、取り返そうとしているところらしい。しかしここは船の上、絶賛航行中。動力源の羽に近いこの場所は特に揺れが激しく、真っすぐ歩くのも困難だった。
小器用なロボットは船体の揺れも何のその、短い足でスタスタ駆けていく。船員に懇願されたルークたちは無事に譜石の欠片の奪取に成功した。

「覚えてろズラー!」
「海に逃げてったぞ・・・」
「てゆーか、水に濡れて平気なの?」
「ギャー、ズラー!」
「・・・・・・」
「もちろん、放っておきましょう」

海水に沈んでいくロボットを横目に見ながら、船員に譜石の欠片を返す。お礼にと響律符をもらった。
更に道なりに進んでいくと、船尾に佇むを見つける。彼女もこちらに気づいたようだった。後ろで組んだ手は銃を握っていないようで、どこかうんざりしたような表情にも見える。
もっともの表情はいつも変わらないから、気がするというだけだが。

「そんなとこに突っ立って何してんだよ、
「騒動の主犯を見つけたのですが、話が通じないので監視だけしていました」
「はあ? 話が通じないって  
「ハーッハッハッハッ! ハーッハッハッハッ! 野蛮な猿ども、とくと聞くが良い。美しき我が名を。我こそは神託の盾六神将、薔薇の・・・」
「おや、鼻垂れディストじゃないですか」
「薔薇! バ・ラ! 薔薇のディスト様だ!」
「死神ディストでしょ」
「黙らっしゃい! そんな二つ名、認めるかぁっ!薔薇だ、薔薇ぁっ!」
「と、この調子で話が通じないのです。ご理解いただけましたか、ルーク」

空中で地団太を踏む男、からかうジェイドとアニス、空気をまるで読まない
なんだこのカオスな空間は、と呆れていいのか帰っていいのか判断ができないまま、ルークは投げやりな言葉を発した。

「・・・なんだよ、知り合いなのか?」
「私は同じ神託の盾騎士団だから・・・。でも大佐は・・・?」
「そこの陰険ジェイドは、この天才ディスト様のかつての友」
「どこのジェイドですか? そんな物好きは」
「何ですって!?」
「ほらほら、怒るとまた鼻水が出ますよ」
「キィーーー!! 出ませんよ!!」

アホらしい会話が目の前で続いて行く。ガイと顔を見合わせたルークは、二人揃ってため息を吐いた。
かかわるのも疲れると少し遠巻きに眺めていれば、ケセドニアで解析した音譜盤のデータをディストが奪っていく。出し抜けたことに高笑いをするディストに、ジェイドは笑顔で「すべて覚えたから要らない」と言い放つ。本当に?と聞くディストに、肯定を返すジェイド。
二回に渡るやりとりに、顔を真っ赤にしたのは案の定。

「ムキーーーー!! 猿が私を小馬鹿にして! この私のスーパーウルトラゴージャスな技を食らって後悔するがいい!」

「はい、大佐」
「え、ちょ、うぎゃぁーーーーっ!!」

船尾に降って来た巨大譜業ロボットに、は間髪入れず譜術を放つ。その爆発によって吹き飛んだロボットの進路にいたディストは当然巻き込まれ、やがて遠くの海上で水飛沫を上げた。

「さ、ゴキブリも片付いたことですし、私はブリッジを確認してきます」
「おい・・・あれ・・・」
「殺して死ぬような男ではありませんよ、残念ながらね。、あなたは死体を海に流す作業を手伝いなさい」
「承知致しました」
「ブリッジは俺も行く。女の子たちはルークとイオンのお守りを頼む」
「あれ? ガイってば、もしかして私たちが怖いのかな?」
「・・・ち、違うぞ。違うからなっ!」
「俺たちは・・・あー、ケガ人の確認とかでいいのか?」
「ええ、そうね。行きましょう」

平和の使者も楽じゃねえなあ、とルークは青い空を見上げてため息を吐いた。