22.不完全なレプリカ

ND2014 ウンディーネリデーカン・レム・40の日

は初めて それ(・・) を目にした。
正確に言えば二度目だったが、彼の姿をしているそれを見るのは初めてだった。喉の奥が締めつけられるような痛みに動けずにいたは、礼拝堂に詰めかけた人々の声によって意識を取り戻す。
上手く吸えない息を無理矢理吐き出して踵を返した。

翌日、朝も早くからディストの研究室に入り浸るに彼が文句の一つも投げつけなかったのは、が明らかにピリついていたせいだろう。チラチラと向けられる視線も時折聞こえる咳払いもすべて無視をして、読み返していたのはフォミクリ―、レプリカ研究に関する論文と書籍だった。
何度も読んだ、重要な箇所なら丸ごと空で読み上げられるほどに。フォミクリー装置の作り方もメンテナンス方法も覚えた。初期型フォミクリー  譜術で複製を生成する術式も使えるようになった。
やった事がないのは、人間の生成だけだ。

「ディスト」
「・・・なんですか」
「コンタミネーションの調子見て」
「・・・奥の譜業に手を翳して待っていてください」

頷きもせずに立ち上がったは、床に散らばる紙を踏みつけながら奥の扉を開く。付けていた黒猫の仮面を体内に収納し、スペアの、消えない方の仮面を付け直す。
袖をまくり上げて複数のコードを装着し終えたところで、ディストが機械を稼働させた。上に向けた手のひらから彼の指示通りに仮面を具現化させる。数パターンを試して約10分、終了の合図でコードを外した。

「2年前、コンタミネーションを施してからずっと安定しています。この分であれば定期検査をするとしても年一で問題ないでしょう」
「そう、ありがとう」
「今後、別の物体を結合する場合は私の監視下で術を施すようにしてください」
「わかってる。  生物レプリカの研究は順調?」
「当然でしょう。まだ完璧ではありませんが  
「あんな不完全な導師イオンしか作れていないのに順調なんだ。笑える」

始まりそうになったディストの演説は、の一言でぴたりと止まる。彼は眼鏡を押し上げてから呆れたようなため息を吐いた。

「フォミクリー技術を提供したのは私ですが、今回の導師のレプリカ作りには関わってはいませんよ。まあ研究データは頂きますが、不完全なレプリカだと文句を言うならヴァンに言いなさい。これではただの八つ当たりですよ」
「・・・うるっさいな、わかってるよ。ハゲろ」
「ハゲろ!? 聞き捨てなりませんね、ノワール! 私の家系にハゲはいませんよ!」

吐き捨てるように呟いたは苛立ちを隠さぬままに部屋を出る。
昨日、礼拝堂に居た導師イオンはイオン君じゃなかった。ファブレ公爵邸で「ルーク」を見た時よりも激しい嫌悪感が腹の底でうごめく。
あんなのは、第七音素が人の姿をしているだけの、ただの肉塊だ。
あんなの、少しもイオン君じゃない。なのになんで、誰も、おかしいと思わないんだ。

「・・・ノワール?」
  どうしたの、アリエッタ?」
「ノワール、いつもと違った・・・何か、怒ってる?」
「あー・・・うん。少しだけイライラしていた。もう平気。アリエッタはどうしてここに? 導師守護役の仕事は?」
「イオン様の体調が良くないから、会っちゃダメって言われたの・・・。イオン様、昨日はいつもと違ったから・・・アリエッタ、心配なの」
「そっか。じゃあ後でイオン君と面会しても平気か確認してくるよ。もし具合が悪かったらイオン君のためにも明日にしよう。いいね?」
「うん! ありがとう、ノワール」
「どういたしまして。さあ、仕事に戻ろう」

お友達のライガと駆けていくアリエッタの背を見送ったは、ため息を吐いてから行き先を導師の部屋へと変える。いくつかの譜陣を通った先の目的地、周囲に誰も居ない事を確認してから扉をノックした。名前を告げ、入室の許可を得てからの部屋に足を踏み入れる。
イオン君はベッドの中で書類を読んでいたらしく、半身を起こしていた。半分も食べなかったらしい食事をサイドテーブルの上から片づけてから、は仮面を外した。

「昨日のぼくは不出来だったかい?」
  、そうだね。アリエッタが不審に思う程度には」
「あれは一体目でね、まだ調整が終わっていないんだ。でも、アリエッタすら誤魔化せない 劣化品(ガラクタ) は処分しておくよ。教えてくれてありがとう、ノワール」
「あれが・・・生物レプリカの生成が預言に抗う方法なの? イオン君自身の未来を選び取れるんだって言った、その方法がレプリカ?」
「ああ、そうさ。ぼくが死んでも、導師イオンは死なない。次の導師が据えられるまで、誰もぼくが死んだことに気づかない。この方法なら預言は覆せるんだよ、ノワール」

その言葉には強く拳を握る。なんでそんな風に穏やかに笑えるんだ、と目の前の小さな主を問い質したくなる気持ちを必死に抑えた。眉間に寄った皺を親指で解しながら、けれど堪えきれない苛立ちのまま口を開く。
辛うじて、声は震えなかった。

「それでもイオン君が  居なくなることに気づかないはずがない。アリエッタだってそうだよ。他にも勘付く人間は絶対に現れる。そもそも生物にフォミクリーを転用することは禁じられているのに」
「キムラスカのファブレの息子は今も元気に生きているんだろう? 誰にも  親にすらレプリカだと気づかれず、大事に育てられているそうじゃないか。ぼくに接触できる人間は多くないんだ、バレやしないよ。・・・まあバレたところで消すだけなんだから問題はないさ。そうだろう?」
「・・・・・・どっちの差し金」
「ヴァンだよ。彼はこの 預言に縛られた世界(ガラクタ) を壊したいと言っていた。ぼくも同じ気持ちだった。それだけだよ」
  アリエッタはどうするの」
「彼女にも気づかれないくらい高性能なレプリカを作るだけさ。・・・ああ、でも彼女までレプリカにあげる必要はないから導師守護役からは外そうか」

彼の声に滲む愛しさを感じ取ってしまったは、色んな言葉を飲み込んで口を閉ざす。イオン君は少しだけ目を伏せて、それからまた笑みを作った。
はため息を吐いて首を振り、彼が手にしている書類を覗き込む。急ぎの要件ではないと判断したからそれを奪い取った。反対の手で額に触れれば普段よりも高い体温が伝わってきた。

「ごめん、長く話し過ぎたね。執務は一旦お終いにして少し眠った方がいいよ。食欲無いなら冷たいデザートでも用意しようか」
「ん・・・フルーツかゼリーなら食べたいかな」
「わかった。目が覚めた時に食べられるようにしておくよ」
「ありがとう。・・・ごめんね、ノワール」

弱々しい声に返せる言葉は持ち合わせていない。はイオン君の頭を撫でるに止めた。
間もなく聞こえてきた健やかな寝息に、は静かに散らばった書類を集め、放置された食事を処理して、最後に部屋の明かりを落とす。アリエッタの面会は明日になるだろうなと思いながら、ダアトの街に下りるため譜陣に足を踏み入れた。

キムラスカとマルクトの小競り合いにダアトが神託の盾騎士団を差し向ける際、キムラスカの援軍に入ることもあればその逆もあった。もその他の神託の盾騎士団長と同じように兵を率い前線に出ていたが、が味方するのはいつでもキムラスカ軍だった。それは偏に「マルクト領土に立ち入りたくない」という我が侭から来ていたが、実力がものをいう軍の中でそれは常に叶えられていた。

「殺戮の黒猫、だったか。随分と頼もしい二つ名がついたものだな、ノワール」
「物騒の間違いじゃないの。  本当、誰がつけたんだか。悪目立ちして迷惑だよ」
「戦場で黒猫に遭遇して生きて帰った者はいない。黒猫が前線に投下されるという噂だけで、敵の士気と戦線が下がる。  軍人として誇らしくないか?」
「誇張が過ぎる。どこの戦場でも死ねとしか言われたことないのに」

と親しい軍人はノワールと名前で呼んでくれているが、直属の部下であっても影では黒猫と呼ばれていることは知っている。神託の盾騎士団の活動に興味を示さない一般市民には浸透していないことが細やかな救いだった。黒猫はまだいい、自身が常に黒猫の仮面をつけているのだからその呼称は納得できる。だが、好きで人を殺し回っている異常者でもないのに殺戮の、とは不本意でしかない。どこか楽し気に口角を上げるヴァンを横目で見つつ、は今日が提出期限の報告書を取りまとめていた。
こういう雑務は副官の仕事じゃないのかと聞いたことがあるが「良い副官が居なくてな」と流されたのは先々月のことだ。神託の盾騎士団はイオン君が導師に、ヴァンが主席総長に就任してから再編を図ってる。ヴァンは自身が連れてきた仲間たちを長に据えたいらしく、ほとんど表に出ないアッシュのために特務師団なる組織を新たに作り出そうとしている。信頼の置ける部下で周りを固めるのは正しいやり方だ。ついでにさっさと副官をつけて欲しい。ため息を吐いて書類を仕分け終えたは、外したままの仮面を手で弄びながら口を開く。

「イオン君に聞いたよ。導師イオンのレプリカ製作のこと」
「フッ・・・そうか。おまえは本当にイオン様に好かれているな」
「そもそも口止めすらしてないでしょ。そんな話をしたいんじゃない。・・・ヴァン、君は本当に何を考えているんだよ」
「誰もが預言などという愚かしいモノから解放された世界を創る。そのために、預言に縛られたこの世界を壊す。それだけだ」
「『僕はこれからこの教団内で地位を築いて、誰にも邪魔されない権力を持つ。さすがに預言で決められている導師は無理だが・・・。その時は、。君にも傍に居てもらいたい』  8年前、ケセドニアで再会した後、神託の盾に入る前に君が言った言葉だ。あの時からずっと、そんなことを考えて生きてきたの? ・・・4ヶ月前、ユリアシティで『ホドを滅ぼした私が・・・いや、滅ぼしたからこそ私はこの世界を、預言に縛られた人々を救いたい』って言ったよね。なんでそうなるんだよ!?」
「私のせいでホドは滅んだ。 そうなると知っていて (・・・・・・・・・・) 誰も回避しようとしなかった。誰が死のうが何が滅びようが、預言通りでさえあれば良しとする世界など」

いつかとても綺麗だと思った青は、今や憎悪と復讐で澱んでいた。それでも真っすぐに強い光を宿し続けている彼の瞳を否定することはできなかった。

「そう怖い顔をするな、。イオン様自身の死は免れられぬかもしれんが、私とて彼を死なせたいわけじゃない。提案したのは私だが、最終的に快諾したのはイオン様だ。彼の意志は彼のだけもの、そうだろう?」
「・・・ってるよ」

には、とうに腹を括ったヴァンを否定するだけの覚悟がなかった。倫理がどうとか道徳がどうだとか、非難するだけなら誰だってできる。否定することは、彼の道に立ち塞がることだ。覚悟が、信念が衝突すれば弱い方が淘汰される。にはまだ、それだけの覚悟も信念もなかった。それを分かっているからこそ、ヴァンもイオンもに手の内を見せているのだ。

「今すぐすべてを受け入れろとは言わん。・・・信用しているぞ。としても、ノワールとしても」

その言葉には何も返さずはソファから立ち上がった。仕分け終えた書類を提出してくると言えば、頼むぞと返事が返される。仮面を付け直して、扉を開けてから書類を抱えた。視界の隅で見たヴァンは、既に次の事務仕事に取り掛かっていた。

ND2015 レムデーカン・レム・37の日

年を跨いで続いた国境紛争に駆り出されていたは、ダアトに戻って早々イオン君から呼び出しを受けた。体調でも悪化したのかと焦って要請に応じると、待っていたのはにこやかな笑みを浮かべた主人だった。

「久しぶりだね、ノワール。戻ったばかりで悪いかと思ったんだけど、すぐに報告がしたくて」
「ああ、いや、大丈夫。具合が良さそうで何よりだよ」
「良くもなるさ! ようやく満足の行くぼくの代わりが創れたんだもの」
「!」
「とは言っても、これから導師に成り代わるための教育も身体の調整も必要だけどね。まともに会話ができるようになったらノワールも会っておくといい。アレに携わった人間は終わり次第地方に飛ばすつもりだけど、ノワールは別だから安心してよ」
「・・・嬉しそうだね、イオン君」
「当然さ。ぼくが死んでもアレさえいれば、預言は覆るんだから!」

執務机の前に立って両手を広げたイオン君は、生き生きとしていた。生きている限り、死は最も身近な隣人だ。誰もそこから逃げることなどできやしない。そんなことは理解している、のに。その笑顔が歪んで見えて仕方なかった。

「イフリートリデーカン・イフリート・18の日。ね、何の日かわかる?」
「イオン君の誕生日でしょう。覚えてるよ、ちゃんと」
「うん。導師イオンはその二日後、病が急変して死ぬ」
「・・・は?」

イオン君の望み通り、黒猫の仮面は入室後に取り去っている。包帯で覆われた左半眼はピクリとも動かず、代わりに右目が大きく見開かれた。自分の口から漏れ出た小さな音が震えていた。目の前の小さな主は、その新緑の瞳いっぱいに涙を湛えている。口元に描かれていた弧は歪んでいて。

「ねぇ、ノワール。  僕を、殺して」

思わず抱き締めたその身体の震えが収まることはなかった。すべてを口にしない彼の意図を理解してしまったは、約束することしかできなかった。

文字通り、命の危機に瀕したことなら何度もある。私だって、何か一つでも身の振り方を間違えれば明日を生きられないだろう。だけどそんなものとは違う。イオン君の首に手をかけているのは、預言。星の記憶などという下らない代物だ。受容できる筈がない。
その日から、命に明確な期限をつけられた彼の気持ちを想像しなかったことはない。それなのに彼の痛みを理解することも、殺してと口にした彼の絶望も、ほんの一欠けらですら自分のものにはなってくれなかった。