21.惑星預言
ND2014 レムデーカン・レム・2の日
年明け早々ローレライ教団上層部に呼び出されたは、いつも通りの黒猫の仮面の下で不機嫌な表情を隠さずにいた。
行事に拘るタイプではないが、年末まで詰め込まれた任務を終えてやっとゆっくり休めると思った矢先にこれではやっていられない。大体、年始の教団なんて信者たちの対応で手一杯のはずだろう。
心の中でぐちぐちと文句を垂れながらも、指定された時間の10分前には扉の前で待機してしまう自分が恨めしい。外の喧騒が嘘のように
「神託の盾騎士団第五師団所属 ノワール謡士、参上致しました」
「入れ」
「失礼致します」
覚悟はしていたが耳に響いた声に思わず踵を返したくなる。
入室後、神託の盾騎士団の礼と共に再度名乗り、指示された場所まで足を進める。ずらりと並んだ教団上層部、導師、大詠師、詠師数名に、隣に立つ男が一人。その中でもが最も嫌っている大詠師職の男は今日も偉そうに踏ん反り返っていた。
「ヴァン・グランツ謡将、本日付で神託の盾騎士団第五師団長から主席総長に任ずる」
「続けて、ノワール謡士。本日付で神託の盾騎士団第五師団長に任ずる。これに伴い神託の盾騎士団での階級は謡将、ローレライ教団の階級は詠師とする」
「「謹んで拝命致します」」
「・・・世界の繁栄のため、より一層の働きを期待しているよ。ヴァン、ノワール」
「「導師イオンの御心のままに」」
教団の奥、地下に位置する旧図書館。噂では有害指定された禁書だらけのその場所を通り、は仕掛け扉の先にある譜陣の前に立っていた。先に行くと告げたイオン君が消えたその場所に、僅かな躊躇を残したまま足を踏み入れる。合言葉と共に起動した譜陣の行き先は。
「・・・ザレッホ火山?」
「正解。何度来てもこの場所は暑くて、具合が悪くなるよ」
「じゃあなんで」
「ここに、
「ちょっと待って、イオン君」
長いスロープを下ろうとする彼の腕を掴み、その場に引き止める。不思議そうに振り向いた彼の頬に手をかざし、静かに譜を唱える。彼の周囲の空気が冷えたことを指先で感じ取り、頬を伝う汗を拭った。
「何をしたの?」
「
「・・・へえ、便利だね。ありがとう、ノワール」
イオン君は平時のように微笑んで、それからスロープを下って行った。その後に続きながら、はすぐ側にそびえ立つ、何メートルあるかも判らない巨大な岩に視線を向けた。仮面を外した素顔に、じわりと汗が滲んだ。
「 これが惑星預言。ぼくや、歴代の導師達は皆ここに手のひらを翳して、世界の行く末を、繁栄への道筋を伝えて来たんだ」
「うん」
「笑っちゃうよね。たかがこんな石に、ぼくの、ぼくたちの、オールドラントの生死が、確定された未来がすべて刻まれているなんてさ」
「・・・」
「教団は預言には世界の繁栄が詠まれているって信じてる。この世界で見つかっている譜石は世界の歴史が途中までしか詠まれていない、だから最後の預言が記された第七譜石を必死になって探してる。 そんな訳、無いのにね」
「どういうこと?」
「第七音素を操る力だけ見れば、ぼくは歴代の導師達よりも優れているんだ。もちろん始祖ユリアには敵わないけれど、先代の導師エベノスが詠み切れなかった未来の預言も、ぼくならコレから詠み取ることができるんだよ」
振り返って微笑むイオン君は、あの日見た泣き顔よりも泣いていた。適切な言葉を探せぬまま黙りこくるに、イオン君は少しだけ目を伏せて惑星預言に両手を翳す。
何をしようとしているのかを理解した時には、彼の体を第七音素が包んでいた。
「ND2000 ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たなる繁栄に導くだろう
ND2002 栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す。この後、季節が一巡りするまでキムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう
ここまでが既に起きていることだね」
「イオン君、だめだ」
「ND2015 ユリアの遺志を継ぐ者、病に伏す。彼の者は回復の見込み無く、12の時を過ぎて最期の時を迎える。以後、数十年に渡り導師空位の時代が続く
キムラスカ、マルクトの間の諍いは絶え間なく続き、大地の毒はオールドラントを蝕んでいくであろう
ND2018 ローレライの力を継ぐ者、人々を引き連れ鉱山の街へ向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す
しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう
結果、キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曽有の繁栄の第一歩となる
やがてそれがオールドラントの死滅を招くことになる
・・・・・・ここまでが、ぼくの死が、詠まれた預言だ」
「それ以上は身体が持たない! やめるんだっ!」
「まだ、へい、きさ・・・。
ND2019 キムラスカ・ランバルディアの陣営は、ルグニカ平野を北上するだろう。軍は近隣の村を蹂躙し、要塞の都市を囲む
やがて半月を要してこれを陥落したキムラスカ軍は玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びをあげるだろう
ND2020 要塞の街はうずたかく死体が積まれ、死臭と疫病に包まれる。ここで発生する病は新たな毒を生み、人々はことごとく死に至るだろう
これこそがマルクトの最後なり
以後十数年に渡り栄光に包まれるキムラスカであるが、マルクトの病は勢いを増し、やがて一人の男によって国内に持ち込まれるであろう
かくしてオールドラントは障気によって破壊され、塵と化すであろう
これがオールドラントの最期である」
最後の一言を紡ぎ終えたイオン君はぐらりと後ろへ倒れ込む。その体をお姫様抱っこで抱え上げたの腕を、イオン君は弱々しく掴んで首を振った。
体調が回復するまで戻らないつもりだろうか。少しでも暑さがマシなところを探して移動し、膝と片手で体を支えながらライフボトルを飲ませる。次いで譜術の重ねがけをして汗を拭った。
時間をかけて二本のライフボトルを飲み切ったイオン君は、瞼を閉じたまま口を開いた。
「・・・無茶をしてごめん、ノワール」
「本当だよ」
「でもね、ぼくはどうしても君に惑星預言を、ぼくが死んでいく未来を、最後の、
「・・・なんで。守るって約束したよね? 必ず、預言からイオン君を守るって」
「そうだね。でも、もういいんだ。ぼくはもう、君に泣きついていただけの弱いぼくじゃない。ぼくはもう ぼく自身の未来を選び取れるんだって気づいたんだよ」
「どう、いう意味? 預言を覆す方法が 」
「ふふっ、まだ内緒だよ」
の言葉を遮るように、イオン君の白くて細い指が唇に触れる。その手があまりに冷たくて、は慌てて譜術を解除した。彼の笑顔は穏やかで、それが一層の不安を煽る。
もうしばらくこのままで、という要望には頷く。イオン君の詠んだ預言を刻みつけるように頭の中で繰り返して、心臓が嫌な音を立てていることには気づかぬ振りをした。
今は、腕の中にいる彼の未来だけを想っていたかった。
ND2014 シャドウデーカン・シルフ・24の日
マルクト帝国皇帝カール五世の崩御。その報せはすぐにローレライ教団に届いた。
次期皇帝は既に預言によって選ばれており、即位式の日取りも決まっているという。翌月の同日、シャドウリデーカン・ノーム・24の日。導師イオンは少数の供を連れ立ってマルクト帝国の式典に出向くそうだ。
「式典にはアリエッタを連れて行こうと思うんだ」
「・・・ライガを連れて行くのは難しいと思うけれど」
「そうだね。お友達は教団の船に待機させるよう命じよう。それで、ノワール」
「アリエッタには、再度礼儀振る舞いの指導を行うよ。
「ああ、それも頼みたいけれど、そうじゃないんだ」
イオンの私室に呼び出されたは、その言葉に僅かに首を傾げる。手にした受理済みの書類を抱え直しながら先を促せば、イオン君は走らせていたペンを置き、体の前で両手を組んだ。
髪の毛と同じ色の瞳に射抜かれるような錯覚に陥るのはもう何度目だろうか。
「ノワールも一緒に来るかい? 最後の皇帝に会いに」
「なんで私が?」
「ホド生まれなんだろう? ヴァンに聞いたよ」
「・・・それとこれとに、何の関係があるの?」
「生まれ故郷を滅ぼした国の、最後の皇帝の即位式。ぼくなら何があっても見たいからさ。ノワールも同じ気持ちになるかもしれないと思ってね」
「 せっかくだけど遠慮しておくよ。黒猫の式典出席なんて上の連中が許すはずがないし、そんなことのためにイオン君の手を煩わせたくないからね」
「そっか、残念だな。きっと楽しい日になるのに」
「報告を楽しみに待つことにするよ。ああ、でも式中に笑い出さないようにね」
「・・・ふふっ、そうだね。気をつけなきゃ」
イオン君の執務室を出て、階の中央部にある譜陣に向かって歩くの顔にはいつも通り黒猫の仮面がくっついていた。普段であれば約束の通り彼の前では外す仮面も、滞在時間が短い時はその限りではない。今回はまさしくそうであったし、内心助かったとも思っていた。
受理済みの書類は各部署に届け、第五師団宛ての書類があれば引き取って片づける。ローレライ教団、神託の盾騎士団共に幹部とはいえ下っ端なせいか、それとも幼い頃から導師イオンと親しいからか、単に手が空いていたからか。明確な理由は分からないにせよ、導師の執務に関係する雑務がに回される事も多かった。
正直、それこそ導師守護役の役目じゃないのだろうかとも思うけれど、命令である以上従う他ないのだ。
午後を回ってようやく戻ってこれた第五師団長の執務室兼自室で、はベッドに寝転び仮面を外して目を閉じる。
カール五世の訃報、新皇帝の即位。新しい、王の名前は。
ND2014 シャドウデーカン・シャドウ・35の日
最近では珍しく、ヴァンに直接呼び出されたは彼の執務室の前にいた。更に珍しいことに指定された時間になってもヴァンが現れない。
扉には鍵がかかっていて、それは開錠できるものではあったがは大人しく待つことを選んだ。
「待たせたな、ノワール」
「30分も遅れるなんて珍しいね」
「すまないな、少々手続きに手間取った。さあ行くぞ」
てっきり部屋に入るものだと思っていたは、外へと向かって歩いて行くヴァンに少々驚いた。神託の盾騎士団の本部から出て、ダアトの街を抜け、街道を歩いて行く。方向から港へ向かっているのかと問えば、否定の言葉が返ってくる。
行き先を知らされないまま、しかも二人だけで行動するなどこれまでに経験がないように思う。道を阻む魔物を難なく退けながら、どこに向かっているのか問おうと口を開きかけた時、ヴァンの足が止まった。
「・・・アラミス湧水洞?」
「そうだ。目的地はこの奥にある。来たことは?」
「神託の盾での魔物討伐と、薬草採取に何回かは」
「そうか、ならばいい」
行くぞ、と短い声に何を言うこともなくついて行く。このまま目的地を教えずにどこへ行こうというのか。気になるが、今日のヴァンは着くまで答えてくれなさそうだと勝手に判断した。
道中の会話は多くはなかったが、それでも任務の報告や隊の様子のなどといった仕事の話の他、ヴァンが連れて来た今はもう、仲間と呼んで差し支えない彼らの話やどこの街の何が美味しいとか、誰の打った刀が良いとか。そんな他愛のない話をしていた。
アラミス湧水洞を進んでいく。洞窟内のあまり広くない道は所々浸水しているためどう頑張ってもブーツが濡れる。
が着ている服は謡将、詠師職に昇進して以来、前後に長い法衣を模したようなそれで、支給品ではあるが洗濯や手入れは自分で行う必要がある。つまり何が言いたいのかと言えば。
「あーもー、乾かすの面倒だなあ・・・」
「これくらいでむくれるな。戦地だと思えばどうってこともないだろう」
「支給品だから着てるけど、このヒラヒラ要らなくない? 脱いでいい?」
「神託の盾騎士団と判別できる文様が入っているだろう。だめだ。あのカンタビレでさえ着用しているんだぞ」
「・・・そこで彼女を引き合いに出すのは卑怯じゃない?」
と似たデザインの、が着ているものよりも襟元が華美なグレートーンの軍服を身に着けるヴァンが嗜めるような声を出す。
神託の盾では階級が上がるとある程度の軍服のカスタマイズが行える。機能性に重きを置き、デザインにこだわりの無かったはスタンダードな詠師服に、膝下までのブーツ、裾まであるややタイトなパンツ、首を覆うハイネックなトップス、右手のみ指先の空いたグローブを注文していた。
着脱が楽なように、服を含めた装備品は最小限にしているが、外套代わりのヒラヒラの拒否は出来なかったのだ。
思わぬところで名前が出たカンタビレについて、が知っていることは多くない。
第六師団の長を務める女性、詠師職、階級は奏士。派閥を嫌う実力主義者で、神託の盾騎士団の中で最も多くの隊を率いている。左目に眼帯をしている理由は誰も知らない。
与えられた任務はキッチリこなし、求められた以上の成果も上げるが、派閥大好き上層部からの嫌われっぷりは神託の盾の中でも有名だった。カンタビレの現在の主な仕事は、士官候補生たちの教育。彼女の試験を突破できたものは骨がある者が多い印象だ。
「着いたぞ」
「また水・・・、譜陣?」
「そうだ。私の後に続くと良い、許可は得ている」
「許可って 、ああもう、人の話を聞かないのはどっちだよ・・・」
洞窟を抜けた先にある何の変哲もない広場。
その一角に噴水のように湧き上がる水があった。臆することなく水の中に足を踏み入れていくヴァンが立ったその場所には、ローレライ教団の中を移動するあの譜陣と同じ輝きがあった。返事も待たずさっさと転移していったヴァンにため息を吐きながら、同じように水の中で足を踏み入れる。
また濡れると分かっていたなら、譜術で服を乾かしたりしなかったのにと不満を口にしながら。
譜陣の転移先は室内だった。少し薄暗い狭い部屋は譜陣が置かれるためだけの部屋のようだ。
見たことのない、それでもローレライ教団の柱や壁に描かれている模様と似たようなデザインの装飾に無意識に眉を寄せる。こっちだ、とヴァンの声がしてその後に続く。
部屋を出る前に一度黒猫の仮面を外して、眉間を揉み解し、仮面を付け直した。
「おお、ヴァン。待っていたぞ」
「お久しぶりです、テオドーロ市長」
「元気そうで何よりだ。昇進の件も聞いておる、おめでとう」
「ありがとうございます。本日は先にご連絡した通り、私の部下を連れて参りました。 ノワール」
「お初お目にかかります、テオドーロ市長。神託の盾騎士団第五師団長 ノワール謡将です。ローレライ教団では詠師職を与えられております」
「なるほど、君が。ヴァンから話は聞いておるよ、ユリアシティは初めてだそうだね。外殻大地から新しい人間が来るのは久しぶりだ。ゆっくりしていきなさい」
「お心遣いに感謝致します」
すっかり馴染んでしまった教団式の礼を取る。
ヴァンよりも長いひげを携えた腰の曲がった老人、テオドーロと呼ばれた男はヴァンに向き直った。ヴァンは一つ頷き、に視線を移す。話があるのだろう、出て行けの合図だ。もう一度軽い会釈の後、は入ってきた扉から出て行った。
彼らの話にも興味はあるが、ユリアシティと呼ばれたこの場所にも大いに興味がある。楕円形のようなその建物は建築様式も街を行く人の服装も、ダアトはもちろん他の都市でも見たことがない。
黒猫の面を被って顔を隠すに人々は不審な眼差しを向けたが、そんな視線は日常茶飯事だから気にすることもない。譜陣のある部屋とヴァンとテオドーロが面会している部屋の下層に行こうと、手すりに手を置いたところで左右に敷かれた通路が目に入る。普段の癖で飛び降りようものなら後でヴァンに小言を言われるかもしれないと、そちらに足を向けた。
まずはユリアシティの街の構造を把握しようと真っすぐ伸びる道を行く。行商人の横を通り過ぎてゲートをくぐった先には。
「・・・・・・うわ、」
いくつかの明かりで照らされた開放的な空間。天井はガラス張りなのに、光はほとんど差し込まない。遠くで雷のような何かが光って、空は毒々しい雲のような何かで覆われていた。
呆然と見上げているのはだけだったから、この街の住人にとってこの景色は普通なのだろう。
止まってしまった歩みを再開させる。奥まで続く真っすぐな道を行き止まりまで歩いてみようと思った。進むにつれて人影がなくなっていく。後ろを振り向くと屋内 厳密にいえばこの場所も屋内だが から漏れる光は遠くで輝いていた。出口と思われる扉は近い
一度それを見て、もう一度振り返り、は先に進むことを決めた。自動的に開いた扉を抜け、足に伝わる感触が地面に変わる。二歩、三歩と前に進んで、後ろで扉が閉まる音が響く。更に歩く。
数メートルも進まない内には足を止めた。止めざるを得なかった。
「地面がないんじゃ歩けないな」
≪主≫
≪何、フィー?≫
≪瘴気の濃度が濃い。この場所に長く留まるのは得策ではない≫
≪瘴気・・・ああ、これがそうなんだね≫
空を見上げる。上空で光っているのは太陽だろうか。真っすぐな光が届かないのは、立ち込める靄のせいか、それとも。
≪フィー。ちょっと見てきてくれる?≫
≪承知した≫
右手に嵌めた義父の形見から小型のドラゴン、フィーが現れる。そのまま垂直上昇で空を目指した彼は5分と経たずに指輪の中へと戻ってきた。
の体はびしょ濡れになっていた。
「しょっぱ・・・!」
≪海水が瀑布のように落ちてきているようだ。このユリアシティに近しい場所では気化している、だから濡れない≫
「今まさに濡れたところだよ」
フィーとの会話は指輪を通して行っているため、言葉を口にする必要はない。必要はないが、海水でべたついた服を着ている今、独り言を抑制する余裕などなかった。
フィーを呼び出した際に負った傷は、フィーが指輪の中に戻ると同時に契約者であるに還元される。雨に濡れればも濡れるし、足がもげればの足ももげる。
フィーは火を吹くことも出来るが、やりすぎればの体内の音素が枯渇してしまう。便利であると同時に使い方を誤ると死に直結しかねないこの力を、は極力移動以外で使わないようにしていた。
「手早く済ませよ・・・スプラッシュ。 フレアトーネード」
スプラッシュで海水を洗い流し、フレアトーネードで服と髪の毛を乾かす。本当はシャワーを浴びたいが部屋に戻るまで我慢するしかない。長引く野営でどうしてもシャワーを浴びたくて、試行錯誤した結果の末に編み出した方法がこんな時にも役立つとは。
ボサボサになった髪の毛を手櫛で梳きながら、消えた地面の先に広がる泥のような海の中にそっと瓶を差し入れる。サンプル採取のために同じものを3本作って、泥を洗い流してから懐にしまった。ついでに瘴気も持って帰ろうと空中で瓶を振り回した。
「どこを探しても姿が見えないと思えば・・・」
「あ、ごめん。話は終わったみたいだね」
「こんなことなら同席させておくべきだったか」
「堅苦しい話は遠慮しておくよ」
ユリアシティと外界を繋ぐ扉を潜ると、少しだけ息を切らしたヴァンと遭遇した。その顔にはありありと呆れが浮かんでいて、常のごとく軽く叩かれる。後にも先にもをポカスカ叩けるのも叩いてくるのもヴァンだけなので、はそれを甘んじて受け入れている。飛び掛かって来るのはイオン君だが。
来た道を共に戻るは改めてユリアシティを覆うドームのような天井の構造に目をやりながら歩いていた。
「お兄ちゃん! 探していた人は見つかったの?」
「ああ、たった今見つけたよ。手伝わせてすまなかったな、メシュティアリカ」
「・・・お兄ちゃん、って」
「紹介しよう、妹のメシュティアリカだ。メシュティアリカ、彼女が私の部下のノワールだ」
「 初めまして、神託の盾騎士団第五師団長 ノワールです。ヴァン・・・お兄さんにはいつもお世話になっています」
「初めまして、ノワールさん。いつも兄がお世話になっています。ティアって呼んで下さい」
「ありがとう、ティア。手を煩わせてしまって申し訳なかった」
「ううん、とんでもないです」
にこやかに微笑んだまだ幼いその顔に、昔の記憶が揺り起こされる。ティアはミリアさん似なんだなと心の中で思った。ティアは兄が帰って来たことが嬉しいようで、とても楽しげに話をしていた。それに応じるヴァンも平時よりは穏やかな顔で笑いかけている。
あれはいつだったか ああそうだ、初めて導師エベノスに呼び出しを受けた日だ。母との約束を、妹を守りたいだけだとヴァンは言った。彼の唯一の肉親は、彼の左手に指を絡ませ歩いている、生きている。
この光景を見たかったのは、他の誰でもなくミリアさんのはずなのに。
「ノワール」
「・・・ああ、ごめん。何か言った?」
「ユリアシティを案内する。ティアを部屋まで送って来るから少し待っていてくれ」
「わかった」
いつの間にこんなところまで歩いて来ていたんだろう。ぼーっとし過ぎだぞと自分を叱って気持ちを入れ替える。居住区らしき方向に歩いて行く二人を見送りながら、は言われた通りその場で待っていた。
数分後、ヴァンの姿が視界に入り腰かけていた手すりから離れる。
こっちだ、という声に続けばテオドーロと顔を合わせた部屋の真下。扉の前には一人の女が立っていて、ヴァンは何を 通行許可証だろうか を見せていた。突き刺さる視線をやり過ごして中に入れば、さして広くない部屋に二人きりになる。
「ユリアシティに来たのは今回が初めてだったな」
「そうだね」
「導師イオンから惑星預言 ユリアの、
「、そうだね」
「このオールドラントの記憶が記された惑星預言について知る者は、ローレライ教団の詠師職以上の中でも一部の人間と、このユリアシティの住人だけだ。もっとも、ユリアシティの住人と言えどすべてを知る人間は多くないが」
「惑星預言、秘預言には人の生死が詠まれている。故に秘匿され、教団員がそれを知ろうとすることは死罪に値する、でしょ?」
「ああ、人は死の前では冷静でいられない。それではオールドラントにもたらされる繁栄は失われてしまう。目の前の小さな生死より、未来の大いなる繁栄を選ぶ。それが為政者だ」
「チッ・・・・・・胸糞悪い」
舌打ちしたに、ヴァンはどこか楽しげに笑う。しかしそれも一瞬のことで、彼は奥に設置された代の前で手を翳す。第七音素が収束するのを見、そこにあるものが譜石だと理解する。
「ここに置かれているのは第六譜石、未曽有の繁栄のためには戦争が必要だと詠まれている部分だ。肝心の繁栄がいつ訪れるのかは第七譜石に記されているとされている」
「だから各国の為政者たちは血眼になって
「ユリアシティはローレライ教団を裏から操っている機関だ。ユリアの預言の成就 それが彼ら監視者の役割だ。・・・そして私は第七譜石の在り処を、それに記された星の記憶を知っている」
「!?」
「この事実を知るのは導師イオンと、。おまえだけだ」
背中を冷や汗が伝う。仮面を被ったままで良かった、動揺を直視されずに済む。いつのまにか譜石は輝きを失い、ヴァンがゆっくりとこちらに近づいてくる。顔を上げたまま気づかれないように細く長く息を吐いて、彼を見つめた。
「ホドを滅ぼした私が・・・いや、滅ぼしたからこそ私はこの世界を、預言に縛られた人々を救いたい。 ・、私にはおまえが必要なのだ。力を貸してくれ」
まっすぐな青い瞳、空と海が混じったような綺麗な色。その奥に隠そうともしない絶望、妄執と野望の光。左肩に置かれた大きな手が、あの日ホドで掴んだその手とあまりに似ていて。は唇を噛んだ。
「・・・このことは誰にも言うつもりはない。だけど、すぐに返事をすることも出来ない。 ごめん」
「ああ、わかっている。ゆっくり考えてくれればいい」
妄執を消し、微笑みを口に描いたヴァンに頷く。それから語られた外殻大地のこと、ユリアシティのこと、ローレライ教団のこと、瘴気のこと、世界の仕組みのこと。
これまでに立ててきた仮説への答えが出ると同時に、これだけの事を知っても尚イオン君を守る術が思いつかない事には酷く落胆した。
ND2014 シャドウリデーカン・ウンディーネ・14の日
その日は朝から慌ただしかった。公的な式典への出席が許されていないですらその準備を手伝わされる羽目になっている。マルクト帝国皇帝の即位式を10日後に控えた今日、導師イオンはマルクトへ向けて出発する。
ダアト港からマルクトの首都グランコクマまでは4日もあれば到着する距離だが、今回はケセドニアやセントビナーなどの他の都市の視察も行う予定だという。水上走行も可能な陸上装甲艦ティファレトが今回の足となるそうだ。
導師、導師守護役、大詠師、詠師数名、ティファレトを動かす乗組員、道中の護衛を担う神託の盾騎士団。実際に式典に出席するのは10名にも満たないというが、連れ立っていくのは100を超える。為政者たちの考える少数とは一体いくつからなのかと疑問を覚えなくもない。
「本当に行かなくていいのかい、ノワール?」
「はい。それに今回の式典への同行は、アリエッタが導師守護役に就任してから最も大きな仕事です。私がいては彼女の邪魔になってしまうでしょうから」
「そう・・・残念。ノワールとも一度外に出てみたかったんだけど」
「では次回の公務の際にはぜひお供させていただきます」
「 よろしいですかな、導師」
「ああ、今行くよ、モース。じゃあ留守をよろしくね、ノワール」
「はい。どうぞお気をつけて」
出立の直前まで執務をこなしていたイオン君を廊下で見送り、彼の部屋に鍵がかかっていることを確認してノワールは地下にある旧図書室へと向かう。詠師に就任してから人目を盗んで通い詰めたこの場所は、教団が有害図書として指定した禁書がいくつも並んでいる。
読み終えた本棚は3分の1にも満たないが、創生暦時代のこと、ユリアの誕生と惑星預言、プラネットストームの起こりと弊害など有益な情報も多く得られた。口煩い上層部が居ないこの期間が勝負だとは改めて意気込んでいた。
ND2014 シャドウリデーカン・ノーム・24の日
マルクト帝国に新たな皇帝が即位する。ダアトはもちろん、キムラスカも式典には出席するという。めでたいことだ。
(まあ、誰が即位しようが会わない人間なんて存在しないも同じだし)
例えばそれが、過去に兄と呼んで慕った男だったとしても。私には関係ないのだと、は新たな本を手に取った。