20.憎らしいほどに

ND2012 ルナリデーカン・レム・1の日

久しぶりのバチカルへと向かう船室の中、はベッドで横になっていた。陽は既に落ち、月明かりが室内を鈍く照らす。寝付きはいい方だと思っているが、今日ばかりはどうにも眠れなかった。
既に軽装に着替えてしまったは、外套を羽織って武器も持たずに甲板へと足を向ける。やや小ぶりな定期客船故か、先客も船員もいないその場所に寝転がり、瞬く星空を見上げた。
イオン君が詠んだ自身の死にまつわる預言と世界の歴史を緻密に描く 惑星預言(プラネットスコア) 。一介の教団員でしかないがそれに触れたと教団幹部に知られれば、この身がどうなるかなど明日の天気よりも明白だった。
だがそれすらも、にとっては些末な問題である。

「・・・・・・何にも、思いつかない・・・」

イオン君と、剣を捧げた主と交わした約束を果たすための方法は、一向に思い浮かばない。教団の書庫をひっくり返す勢いで本を積み上げても、禁書が保管されていると噂のある部屋への侵入を試みても、 第七音素(セブンスフォニム) の研究論文を読み漁っても無為な日々が消化されていくだけだった。
イオン君は生来身体が強くない。それでも年を重ねるにつれて、風邪も避けて通るほどに丈夫とは言えないまでも人並みに身体を動かしても寝込まずに済むようになった。主治医からの診察結果を見せてもらうようになった今も、特に著しい身体の不調は見られない。
そんな彼の命が残り3年などと誰が信じるのだろう。

病気の根治治療という選択肢を一旦捨て、は日々の任務に励んでいた。ローレライ教団内でも神託の盾騎士団としても地位を上げ、誰にも文句を言わせない権力と裁量を得ることが彼の望みだったからだ。
ラルゴとアッシュは言わずもがな、晴れて 導師守護役(フォンマスターガーディアン) に就任したアリエッタも日々イオン君の傍で任務に励んでいる。正式に導師守護役を任命された日、ピンクと白の制服に身を包んだアリエッタはとびっきりの笑顔で報告に来た。
彼女といる時のイオン君の表情は平時より穏やかで、それはの焦燥の原因の一つでもあった。
そしてもう一つ。

「フォミクリー・・・生物レプリカ・・・ね」

四年前、ND2008に出会ったディスト  ネイス博士に師事して以来、彼と彼の唯一無二の友である金の貴公子バルフォア博士の書いた数々の論文と書籍について学び続けている。
渋るディストをあの手この手で口説き誤魔化し納得させ、ホドの崩落以降時間を見つけては調べ続けていた事柄のいくつかに現実味のある仮定を導き出すことまでは出来た。調べるほどに不可解な点も増えたが、いつかすべての解に繋がると信じている。
問題は、ルーク・フォン・ファブレ。

  っくしゅ」
「なんだ、珍しい。風邪か」
「違う。夜、甲板で寝転がって星を眺めていただけ」
「何も違わないではないか」

呆れと心配の混ざる声色に平気だと手を振り  実際に起きてからくしゃみが数回出ただけで寒気も喉の痛みも発熱もない  、バチカル港から城下へと続く天空客車へと乗り込む。
この街に訪れるのは約2年振りだった。相変わらず街は活気に溢れ、上階へ進むにつれて客は少なく、気位が高くなっていく。宝飾品を身にまとう彼らが交わす価値のない会話  あくまでもにとっては、だ  に内心で舌を出し、外套のフードで隠した顔は遥か下に広がる海に向ける。最上階に降り立ち、ようやくそれを外したはいつもと変わらぬ歩みのヴァンの背に続く。
今回のバチカル同行で彼に命じられたことはたったの二つ。余計な事を話すな、表情を作れ。

「お待ちしておりました、グランツ謡将。今日は  
「はい、部下のノワールも帯同させております」
「ご無沙汰しております、ラムダス様」
「シュザンヌ様がお待ちです。どうぞ応接室に・・・」

招き入れられた応接室には少しやつれたようなシュザンヌ様が待っていた。促されるまま椅子へと腰かけ、語られた言葉たちに、時々目を伏せながら真摯な眼差しを貫く。
どうかお願いしますね。そう締めくくられた拝謁にローレライ教団式の敬礼で応えたとヴァンは、使用人に連れられ自室に下がったシュザンヌを見送った。

扉が閉ざされた後、ため息を吐く間もなく中庭へ足を向けるヴァンの後に続く。眩い太陽の下、駆け回る子どもの楽しそうな叫び声が響いていた。
朱色の髪を翻す少年は、何もないところで派手に転び、一拍を置いて泣き声を上げる。慌てて駆け寄る使用人の中に金色が混ざった。

「・・・ヴァン」
「あれが 誘拐されて記憶喪失(・・・・・・・・・) になってしまったルークだ」
  !」
「2年が経ち、ようやく言葉を理解し動けるようにもなってきた。アリエッタとはまた勝手が違うだろうが、よろしく頼むぞ」

肩に置かれた大きな手にリアクションを返す前に、ヴァンは ルーク(・・・) へと近づいて行く。身体の大きな赤子をあやす輪の中に加わり、ガイと共に朱色の少年へ笑いかけている。は呆然とその場に立ち尽くした。

「改め  お初お目にかかります、ルーク様。神託の盾騎士団第五師団所属ノワール謡士でございます。どうぞお見知り置きください」
「・・・」
「すみません、ノワール様。ルーク坊ちゃんは人見知りを覚えたようで」

ガイの後ろに隠れながらこちらを見上げるルークは、が差し出した手とその顔を見比べていた。やがて絞り出された小さな声が「ルーク」と名乗る。
そのままガイの手を引いて駆けていくルークの背を見送り、交わされなかった握手を求めた手で前髪をかき上げた。隣で苦笑を漏らすヴァンを見上げる。

「ルークは、今いくつ?」
「来月で12だな。ようやく剣術の稽古も始められるようになったからな。公爵様方にノワールとの接触をお許しいただけるよう頼んだのだ」
「・・・それはどうも」
「ノワール。くれぐれも  
「わかっているよ。・・・今日は見学させてもらう。今のルークについては何も知らないからね」

言うが早いかヴァンに背を向けて中庭に設置されたベンチへと腰かける。程なくして姿を現したルークは稽古用の服に着替えており、その左手には木刀を握り締めていた。
楽しそうな打ち合いを眺めるの横に腰かけたのはガイで、ペールは反対側で庭いじりに精を出していた。

「以前会った時よりも忙しそうじゃないね」
「俺の今の仕事はルーク坊ちゃんのお守だからな。ヴァン様が来ていない時は大忙しさ」
「・・・・・・知らなかったな」
「何をだ?」
「ルークのこと」
「ああ・・・驚いただろう。誘拐されて記憶をなくす前のルーク坊ちゃんは、ノワールに懐いていたからな」

懐いていた? 記憶をいくら辿ってみてもそんなシーンに思い当たる節などないのだが。訝しげに右横を向けば、彼の瞳は酷く複雑な色を帯びていた。
視線の先にある二人の姿をも改めて観察する。その身体は年相応の成長を遂げ、無邪気に笑って転げる姿に違和感を覚え、木刀を振り回す利き手にほんの一瞬だけ目を伏せた。
やがて稽古の時間が終わり、ガイが用意した飲み物を美味しそうに飲むルークは。二人に囲まれたルークは、大層幸せそうだった。

勉強の時間だと引きずられていくルークに別れの挨拶を告げ、ヴァンと二人でファブレ公爵邸を後にする。
約一ヶ月、60日としている今回のバチカル滞在で使う宿の部屋に入ったは、着の身着のままベッドへと倒れ込んだ。身体的疲労はほとんどない。
それでも思考を強制された脳みそは疲れ切っていた。

「あれが生物レプリカ・・・」

ND2004に禁忌に指定されたフォミクリー研究。
被験者(オリジナル) のフォンスロットに第七音素を注入、人為的に被験者を構成する音素の不確定性原理を増加させ、人為的に粒子レベルでの揺らぎを発生させる。この揺らぎで生じるレプリカ情報をフォミニンという特殊な薬剤で抜き取りフォミクリー音機関に保存、その情報を第七音素で再現する事でレプリカが作製される。
無機物からのそれを応用する事で生体  人間や魔物の 模造品(レプリカ) を生成する事が出来るのだ。
ただし出来上がるのは、レプリカ情報が抜かれた時の被験者の状態を複製した、本物と比べて能力の劣化が著しい、記憶や経験の継承が成されない生物。

「ダアトでアッシュに出会ったのは約2年前・・・レプリカ情報を抜かれた副作用で死に至る心配はない。ルークレプリカには記憶の継承は見られないけど、能力の劣化についての判断はまだできない、か」

道徳観念や被験者が負うリスクの高さから、禁忌、凍結、破棄されたはずのフォミクリー研究。かつてそれらの理論を確立、中心となって研究を進めていたのはバルフォアとネイス  今は、カーティスとディストを名乗る二人だ。そして今も生体フォミクリーの研究を一人で続けるディストが、その技術を提供したのは。

  何やってんだよ、ヴァン・・・ッ!」

被験者とレプリカの入れ替えに気づいていないファブレ公爵邸の人々は、己が別荘であるコーラル城で発見された今のルークを「本物のルーク」だと信じて疑っていない。真実を知るのはヴァンのみで、恐らく彼らがそれを知る日は来ないのだろう。
分かっている。何故気づかないのかと訝るのは、が知っている側だからだ。あの日ダアトに迷い込んでいたルークを背負ったから、数日後にヴァンの執務室で歯を食いしばったアッシュを知っているからに他ならない。
それでも身体の構成物質が第七音素だけという奇妙さが、瞼の裏にこびりついて離れない。


。僕がここに君を連れてきた日に言った言葉を覚えているか?」
  教団内で地位を築いて誰にも邪魔されない権力を持つっていうあれ?」
「ああ、そうだ。その時は君にも傍に居てもらいたいと」
が僕と行動を共にしてくれるのは、僕にとって都合が良い。君の強さも、賢さも、良くも悪くも人を惹きつける魅力もすべて、僕のために捧げて欲しいとすら思っている」
「買い被りすぎだよ。それに・・・ヴァンは何がしたいの?」
「母さんと約束した通り妹を守りたいだけだ。  この歪んだ世界から」


いつか交わした言葉が、怖いくらい真剣だった眼差しが、の胸を締めつける。
(ねえ、ヴァン。これが、ミリアさんとの約束の履行なの? 君が、わからないよ・・・)
一人きりの部屋、声にすら乗せなかったその思いは誰にも届く事はなかった。

バチカル滞在も20日が経過した。神託の盾騎士団としての仕事がファブレ邸での子守だけであるはずもなく、久しぶりに与えられた丸一日の休暇には珍しく早起きをしていた。
バチカルが位置する東アベリア大陸は薬の材料となる植物が豊富ではない。もちろんイニスタ湿原にしか生えない希少な植物もなくはないが、が欲するものとは異なっている。各種材料の採取は代理屋の面々に任せてはいるが、やはり自分で出来ることは自分でしたいし、採取・採掘で見えてくる事もある。誰の影響か、フィールドワークを好ましく思っているはせっかくの遠征を有意義に活用したいと考えていた。

正式に代理屋のを名乗り始めてから早8年。当初は気にも留めなかった格好も、評判が広まり始めてからは気を遣うようになっていた。
神託の盾騎士団内で昇進する度にノワール=が結びつかないよう、注意を払う必要に迫られた結果。地毛をウィッグで隠し、左目の包帯をトランプのジョーカーのような半割れの仮面で隠し、右目はカラーコンタクトを装着し、専用の服を用意し、武器を変え、話し方も変えることになった。
鏡の前に立つ度、郷愁に胸が痛むのは自業自得でしかない。

「えー・・・と。あ、ここか。  すみません。お約束をしておりました代理屋と申します」
「はーい、どうぞー」

約束の時間の5分前、はクウェント診療所の扉をノックする。中から聞こえた声にノブを捻って足を踏み入れれば、病院特有のにおいが香る。事前に約束を取り付けたおかげで先客は居ない。奥に通されたは、促されるままソファに腰かけた。

「初めまして。ケセドニアで代理屋を営んでおります、代表のと申します。この度は急なお願いにもかかわらずお時間をいただきありがとうございます」
「やあ、ご丁寧に。医師のキーリー・クウェントだ。欲しいのは薬だったかな」
「はい。バチカルには疎いものでなかなか良い薬師や医者が見つからず、ケセドニアでクウェント先生をご紹介いただいたんです」

差し出された薬を一つずつ慎重に確認しながら、は言葉を続ける。
今回薬品製造を依頼したのは各種グミ、ボトルをはじめ、ライフボトルに頼るほどでもない程度の傷に使う薬、包帯やガーゼ、解熱鎮痛剤やピルなどだ。
実の効果のほどは使用してみなければ分からないが、自身も薬品調合を行う事からある程度質の良し悪しの判断は下せる。紹介者からの評判通り、とても腕の良い医者のようだ。

「ありがとうございます。依頼していた商品の確認をさせていただきました。こちら、代金の確認をお願い致します」
「ああ、確認させてもらうよ。・・・差し支えなければ、紹介者ってのを教えてもらいたいんだが」
「申し訳ありません、彼の名前は失念してしまいまして。・・・ですがそうですね、黒髪短髪で恰幅が良く身長は2mくらいの  
「バダックか?!」
「えっ、と・・・そんな名前だったかもしれません。ケセドニアで傭兵をやっていると」

突然響いたテーブルを叩く音に驚いて顔を上げれば、身を乗り出した男の顔が間近にあった。若干引き気味に頷きながら、初対面の時に告げられていた情報を引っ張り出して答える。
その返答にキーリーは顔を輝かせ、そしてすぐに曇らせた。力なくソファに座り込む男にはかける言葉を持たず、沈黙を選ぶ。
やがて彼が絞り出した声は、少し悲しげだった。

「・・・バダックは、元気にしていましたか?」
「そう、ですね。体調は良さそうでしたが、彼と身の上話をするような仲ではありませんので」
「代理屋の、さんだったか。もしまたバダックに会う機会があったら、たまには顔を出してくれと伝えてくれないか。心配していると」
「承りました。必ず伝えます」
「・・・・・・よろしく、頼む」

下げられた頭に、つられて頭を下げ返す。聞きたい事がなかったかと言えば嘘になる。だがそれを今ここで問おうとは思わなかった。
重ねて礼を告げて診療所の扉を閉める。荷物の中から外套を羽織り、足早に路地を歩いた。
バチカルの下層で朝市を楽しむ多くの人で賑わう広場を吹き抜ける潮風にフードが外れ、ウィッグで伸ばした長い髪がなびく。
それを押さえながら空を見上げれば、薄い雲間から譜石が輝いていた。

憎らしいほどに。