19.導師イオンの涙
ND2011 イフリートリデーカン・シャドウ・24の日
イオン君 ローレライ教団最高指導者 導師イオンに呼び出されたは、指定された時刻の3分前に扉を数回ノックした。返事に名乗れば入室の許可が下りる。
彼の部屋は以前とは異なる場所、よりセキュリティの質が高い場所に移されていた。この部屋に入るのは初めてだったが、扉を開け教団式の礼を送った先には、少し具合が悪そうな事を除けばいつも通りの彼がいた。
「いらっしゃい、ノワール。なんだか久しぶりに会う気がする」
「そうで・・・そうだね、イオン君。少し疲れているみたいだけど、体調は?」
「うん、ちょっと疲れてるかも。でも大丈夫だよ。ね、座って」
促されるままはソファに腰かける。ローテーブルを挟んで正面にイオン君が座る。彼は何かを言いたげに、そしてそれをどう切り出そうかと考えているようだった。飲まない事を知っていていつもと同じように置かれたアイスティーの雫に黒の仮面が映り込む。
コツンと音がして顔を上げると、イオン君がグラスを置いたところだった。
「ぼくとノワールが初めて会った時のこと、覚えてる?」
「うん、覚えているよ」
「約束もしたよね」
「・・・そうだね」
「ぼくはまだ8歳で、出会った時のノワールよりは子どもだけど・・・でも、導師になったよ」
「あの時は、もう少し大人になったらって言ったっけ」
「うん。だからね、ノワール。ぼくに、黒猫の仮面をつけている理由を教えて欲しいんだ」
新緑の瞳がまっすぐにを見つめている。も仮面の奥からその瞳を見つめ返した。
これまでの日々を、出会ってからの5年間を振り返ってみると、彼と約束を交わしてからは一度もこの仮面を話題にすることはなかった。いや、僕も付けてみたいなと言われたことはあったかもしれないけれど、理由を問うたり外すよう促された事は一度もなかった。
彼は彼なりにきちんと約束を守り、そしてそれを果たすべき日を考えていたのだろう。そんな彼に「まだ子どもだから」「もう少し大人になってから」と言えるだろうか。
「・・・わかった。付けている理由だったね」
「本当? 教えてくれるの?」
「うん、約束したんだ。守らないとね」
言いながらあの日約束を交わした指を振って見せると、イオン君は破顔した。正直、喜ばれるほど面白い理由でもないから期待しないで欲しい。素直にそう言えば頷いてはくれたけれど、嬉しそうな顔は変わらなかった。
さて、どうするかと暫しの間考えを巡らせる。そうしては、顔を覆う仮面に手をかけた。
「私がこの面を付けている理由は、これだよ」
「!」
「・・・驚かせたらごめんね。こうやって片目が使えないことを知られると、どうしても狙われたり舐められたりしやすいから普段から隠しているんだ。後はそう・・・戦闘中に口元で詠唱のタイミングが相手に知られないようにとか、目線で何を狙っているのか気づかれないようにするためとか。大きな理由としてはこんなところ」
「ぼく・・・、ぼく、全然知らなかった・・・」
「誰にも ああ、違うや。二人を除いて誰にも教えていないからね」
「二人?」
「うん。ヴァン・グランツ謡士とアッシュ。アッシュは今年のレムデーカンに入団したばかりの赤髪の少年。ヴァンの方は式典に出席していたから顔は見たことがあるんじゃないかな」
ヴァンの容姿を説明すると記憶にあったようで、あの人かと頷いていた。なんとなく手にしていた黒猫の面をソファに置いて、アイスティーに手を伸ばす。イオン君は少し驚いたような顔をして、それから少し微笑んだ。
「ねえ、ノワール」
「何? イオン君」
「ぼくと二人きりの時は、仮面を外してて欲しいな」
「・・・なんで?」
「黒猫の仮面もかっこいいよ。かっこいいけど、ぼくはノワールの素顔が好き」
「!」
「それにほら、仮面をしてなければ一緒にご飯も食べられるよ。ね、いいでしょ?」
この少年はどこまで分かって言っているのだろう。包帯を避けながら左頬を掻きつつ目を泳がせても、キラキラとした眼差しは揺るがない。逡巡の後、は首を縦に振った。
「わかった。ただし、二人きりの時だけね。後、イオン君が私の素顔を知っていることは秘密にして欲しい」
「うん。 約束! ね、また指切りしよう?」
「イオン君は指切りが好きだね」
「だって、ノワールはぼくのお願いを叶えてくれるから」
「・・・さすがになんでもは無理だよ」
「うん。それでもぼくは信じてるんだ」
ローテーブル越しに手を差し出したイオン君を見、は立ち上がって彼の横に片膝をついた。ソファに座った彼を見上げるように指を差し出せば、嬉しそうに指を絡めてくる。5年前に絡ませた指との差を想い、は少しだけ目を伏せた。
満面の笑みをくれたのに返せたのはややぎこちない笑顔だったから、は指を解いて腰に下げた剣を鞘ごと外した。少し狭いがまあいいだろう。次いでイオン君の手を取ると、大きな瞳がパチパチと瞬いた。
「導師イオン いや、イオン君。ローレライ教団 神託の盾騎士団第五師団所属ノワール奏手の名とこの剣に懸けて、あなたに忠誠を捧げることを誓います。・・・あなたを守らせていただけますか」
目を瞑り、自身の額の前へと彼の手を掲げる。形骸化しているという教団式の忠誠を誓う儀。
先代導師エベノスには行わなかったそれを、は目の前の小さな主へと捧げていた。
突然の出来事に驚いているのだろう。イオン君は微動だにしなかったが、ふと手が離れた感触に顔を上げるとの視界は白で満たされていた。
「うわっ!・・・あ、危ないよ、イオン君」
「えへへっ、だってノワールが守ってくれるって言った!」
「う・・・いや言ったけども」
「 ありがとう、ノワール。ぼく、立派な導師になるよ。ノワールもアリエッタも、この世界もぼくが幸せにする。・・・だから、ずっと一緒に居てね」
至近距離から飛び掛かってきた8歳児の体をバランスを崩しながらもなんとか受け止めれば、イオン君は首に回した手に力を込めた。抱えた体を、背中に回した手であやすように軽く叩いた後、はほんの少しだけ力を込める。
僅かに滲む寂しそうな声には気づかない振りをして、「わかった」と短い返事をした。
ND2011 イフリートリデーカン・ローレライ・35の日
新しく導師が就任した後では、一週間以内にユリアの遺した預言、
先代の導師エベノスからその座を引き継いだイオン君は最年少導師であり、また身体も弱い事も鑑みて、体調が安定するまでその任は先延ばしにされていた。
そうして迎えた当日、イオン君は教団幹部数名を引き連れ、惑星預言が安置されている場所でユリアが遺した世界繁栄のための道筋を詠み解くという大役を果たしていた。
一方のはというと、数日前からラルゴと共にラーデシア大陸にあるメジオラ高原へと向かっていた。アーマードボアの異常繁殖に加え、ブレイドレックスが確認されているとの報告が入り、急遽討伐体が組まれることになったのだ。
メジオラ高原の管轄はシェリダンに駐留しているキムラスカ王国軍のはずだが、どうにも彼らの手には余るようで
「メジオラ高原ねえ・・・ブレイドレックスって見たことある、ラルゴ?」
「いや、ないな」
「駐留軍の手に余るくらいなら強いかな。強いといいけど」
「問題視されているのはアーマードボアの異常繁殖の方だろう。特別手のかかる魔物ではないが、放っておいてシェリダンに被害が出ては困る」
「わかっているよ。アーマードボアの討伐優先、ブレイドレックスは遭遇したら狩る。以上」
神託の盾騎士団からの派兵は一小隊30人。とラルゴがそれぞれ隊長を務め、二手に分かれての討伐を計画していた。
海流の影響で常時より一日長くかかった船旅も数時間後には終了する。軽い手合わせを終えた二人は、甲板に座り込み、あるいは寝転がりながら着港の知らせを待っていた。
アリエッタは導師イオンの
つまり、都合良く動かせる駒、兵士として重用されているのがとラルゴの組み合わせなのである。潮風の香りと眩しい青空を感じながら、は早くもアーマードボア討伐後に立ち寄る予定のシェリダンでの行動計画を立て始めた。
「呆気なーーーい。つまんねーー」
「ノワール奏手。ラルゴ響手隊よりアーマードボア50体の討伐が予定通り完了としたとの報告が入りました」
「こちら側のケガ人の手当ては」
「撤退の準備も含め先ほど完了致しました」
「・・・ブレイドレックスは?」
「周辺に痕跡は見当たりませんでした。捜索の継続は如何なさいますか」
メジオラ高原に到着後、ラルゴと二手に分かれたが率いる隊は運の良い事に早々にアーマードボアの巣を発見、予定数の討伐を完了させていた。念のためシェリダンの職人たちの行動範囲、武具の生成に必要な素材が入手しやすい場所を中心に一通り見回りを行ったが、異常繁殖の形跡はそれ以上発見出来なかった。
開けた場所で簡易な野営を行いながら報告を待っている間、あわよくばブレイドレックスとの遭遇を狙っていたのだが、期待は空振りで終わってしまったようだ。再びため息を吐いて起き上がれば、直立不動のまま指示を待っている伝令兵に手を振る。
「いや、もういい。撤退だ。5分後に出立、入口でラルゴと合流する」
「承知致しました」
敬礼の後、背を向けて駆け出す兵士には目を向けぬまま、は立ち上がり身に着けた黒衣についた砂埃を払った。見上げる
ND2011 イフリートリデーカン・シルフ・41の日
ラルゴと共にダアトへ帰還したは、翌日にはイオン君に呼び出されていた。
夜も明けやらぬうちにベッドから這い出たは、遠慮なくあくびをしながら身支度を整える。普段とは違う時間帯の呼び出しに嫌な予感は拭えないが、一人で想像を巡らせたところで答えが得られるわけではない。
昨夜残しておいたサンドイッチを口の中に放り込んでから、黒猫の仮面をつけて部屋を出た。
「イオン君。ノワールです」
「 どうぞ、入って」
「失礼します !」
「朝早くからごめんね、ノワール。さあ、こっちに」
入室許可に扉を開けて踏み込んだ一歩、変わり果てた部屋の様子に息を呑む。
本や書類、調度品も何もかもが床にぶちまけられていた。部屋の主が鎮座するベッドの周りだけが、不自然なほど整然としている。床のガラスや本を踏まないように気をつけながら彼の元へ寄ると、ベッドの縁を軽く叩いて座るように促して来た。それに逆らう事もなく腰かけるとイオン君の両手が顔へと伸びてきて、の仮面を取り外し、彼はそれを自分の顔に当てた。
サイズ違いのせいで手を当てていないと落ちてきてしまうそれをつけたまま、イオン君は沈黙していた。明らかにおかしいその様子に何を言うでもなく、はその場で彼の言葉を待つ。やがて、小さなため息と共に紡がれた言葉には自分の耳を疑った。
「ぼくね、12歳の誕生日を迎えた後に死ぬんだ」
「・・・・・・え?」
「惑星預言の中に記されてた。ぼくは12で死んで、その後は導師不在の時期が続く。病気だって、ご丁寧に死ぬ日まで決められてたよ」
「イオン君・・・」
仮面を顔に押しつけたまま、それでも堪えきれぬ声が精一杯息をしていた。目の前の小さな主になんて声を掛ければいいのか見当もつかない。正解など無い答えに、は沈黙を選んだ。
「・・・ぼくじゃなくたって良かったじゃないか。なんでぼくが・・・預言なんかに、」
「・・・っ」
「・・・ねえ、ノワール。ぼくを ぼくを預言から守ってよ」
下ろした両手が仮面を握り締めている。その内側には水たまりが出来ていた。
暗く潤んだ緑の瞳がまっすぐを射抜く。口元には諦めたような笑みが引かれていた。は開きかけた唇を強く結んで、左手の指で大粒の雫を拭う。
返せる言葉など一つしかないのだ。
「わかった。君を預言通りになんて死なせない。 絶対に守る」
密着した身体から伝わる震えを宥めるように背中を、頭を優しく撫でる。しゃくり上げる声は聞こえない振りをしながら、彼が泣き止むまでずっとそうしていた。
動揺が伝わらないよう、は必死に平静を装っていた。
はイオン君の部屋を掃除しながら彼の口から語られた預言の内容を反芻していた。
ND2000 ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たなる繁栄に導くだろう
ND2002 栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す。この後、季節が一巡りするまでキムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう
ND2018 ローレライの力を継ぐ者、人々を引き連れ鉱山の街へ向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す
しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果、キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曽有の繁栄の第一歩となる
ND2019 キムラスカ・ランバルディアの陣営は、ルグニカ平野を北上するだろう。軍は近隣の村を蹂躙し、要塞の都市を囲む。やがて半月を要してこれを陥落したキムラスカ軍は玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びをあげるだろう
イオン君はこれから辿る未来の、辿ってきた歴史の中で重要そうな箇所だけを掻い摘んだと言っていた。
今はND2011だ。イオン君が12の誕生日を迎えるのは4年後 ND2015のイフリートの月。4年後の今日、イオン君はこの世界に存在しないのかもしれない。
抱えた本を本棚に戻し終え、主の眠るベッドに目を向ける。泣き疲れてか、それとも慣れぬ早起きのせいかイオン君はぐっすりと寝息を立てていた。
死なせたくなどない。それが預言に詠まれているなら尚更、そんなものに奪われてたまるものか。
彼は、イオン君は私にとって大切な 。
ユリアの預言は 惑星預言は何を記している? ユリアは何故預言を遺した?
人は死ぬ。不老不死は、死者の復活は有り得ない。
だけどその生死も、生まれた瞬間から定められているのだとしたら 人が人として生きていく事に意味はあるのだろうか。人の意志は何のためにあるというのだろうか。
「・・・私は認めない。父さんと母さんの死が、あの日二人を殺してしまったことが『預言に定められていた』なんて、絶対に認めない・・・!」
幼馴染との約束を違えた事すら預言に定められていただなんて、絶対に認めるものか。
握り締めた手のひらの、食いしばった奥歯の痛みは誰にも知られる事はなかった。