9.勧誘

「君があの 道化人形 (クラウンパペット) だな?」
「ええ、そう呼ばれていますね」
「なるほど・・・噂通りだ」

宿屋から出ると少し離れたところにヴァンの姿があった。
に気づいたヴァンは笑みを深め、背を向けて歩き出す。
カイツールを出てフーブラス川の方に少し歩いた場所にある森の入口で彼は歩みを止めた。
噂通りという言葉に少しの引っ掛かりを覚える。

「ご用件は」
「ああ、そうだったな。単刀直入に言おう。・・・私と共に来ないか、?」
向けられた言葉は想定していたものではなく、は眉を寄せる。

「私はマルクト帝国軍に属しています。その上でのお誘いということでしょうか」
「もちろんだ。君が来てくれるのならば高待遇を約束しよう。何ならバチカルに和平の親書を届けた後でも構わない」
「それで邪魔な人間を排除して欲しい、と?」

引き抜きや勧誘、亡命の誘いは別に珍しいことではない。
を「知っている」なら尚更だ。

「君の戦闘能力は高く買っているが・・・この腐った世界を変えるために君の存在が必要なのだ。今ここですべてを話す気はないが、共に在れば私の理想を理解出来ることだろう」
す、と右手を差し出される。大剣を握る大きな手だ。
目の前の男を見上げる。同じ色の瞳を持った男を私は知っている。
「彼」よりも高い身長、逞しい体つき、野望に満ちた目。

「お断り致します。この世界が腐っていようと私には関係がありません」
一度目を伏せ、真っすぐにヴァンの目を見つめ返した。
一瞬驚きに丸くなった目は、可笑しそうに細められる。

「くっ、くく・・・はーっはっはっ! なるほど、そういう答えか。なかなか愉しませてくれる。  だが、」
抜き手も見せず、剣先がの首筋に添えられる。
それと同時にも眉間へと銃を突きつけていた。

「我が理想の邪魔立てをする輩は、何人足りとも許さん。  よく覚えておくことだな」
そうして浮かべた笑みの真意は分からぬまま、ヴァンは剣を鞘に収めた。
まるで突きつけられた銃口が見えていないかの様に、を追い越し去っていく。
その背が完全に見えなくなるまでは銃を下ろさずにいた。

「随分と遅いお帰りでしたね、?」
「只今戻りました、大佐」
カイツールの入口のすぐ近くで立っていたのは、一見すると人の良さそうな笑みを浮かべたジェイドだった。

「どこで、何の話をしていたんですか?」
「外の森の入口で、話の内容は報告するようなことではありません」
先ほどのヴァンとの会話を反芻し、判断した結果を言葉に乗せる。
途端にジェイドは不機嫌を露わにした。を腕を取り、無言で歩き出す。
そうして連れて来られた場所は、宿屋の裏手の更に奥まったところにある倉庫だった。
盗み聞きの心配がなさそうな場所ではある。

「大佐。何故怒っているのですか」
「怒っているように見えるのに、怒られる理由に心当たりはないということですか?」
「はい」
「本当に?」

重ねられた言葉に再度頷く。
言葉を発しようと開いた口は、目の前の男に塞がれてしまう。
蜂蜜色の髪が頬を掠める。睫毛が長い。
そんな事を思いながら、いつか言われた通りに瞼を下ろした。

「・・・あなたが本当のことを言わないから怒っているのです」
「盗み聞きですか? 大佐にしては珍しいですね」
「いいえ、残念ながら。大層親切なヴァン謡将直々に教えていただいたのですよ」
意外な人物の登場に、まあそれもそうかと納得をする。
立ち聞きをしていないのならあの時の話を知るのは二人だけなのだから。

「報告するようなことではない? 神託の盾に誘われておきながら? 冗談も大概にしなさい」
「どこまで聞いたのかは存じませんが、はっきりとお断りしました。ヴァン謡将は私のことを知っているようでしたが、例に漏れず利用価値があると思ったのでしょう」
騒ぐようなことではないと判断したまでです。
そう続けると、額に手を当てたジェイドが大きくため息を吐いた。

「まあ、あなたに私の心情を察しろというのは無理がありますからね」
「はい」
「では覚えておくように。  私は、恋人を傷つけられて喜ぶような男ではありません」

の右の首筋、頸動脈のすぐ近くに出来た赤い筋にそっと舌を這わせる。
血の味はしない。それでもその傷はヴァンにつけられたものに違いなかった。
いつかと同じように、は抵抗をしない。

「明日には消えている傷です」
「ええ、そうでしょうね。それでも、あなたは私のものです」
「文脈が理解出来ません、大佐」
首を傾げる彼女を抱き締めれば、少し遅れて腕が自分の背に回るのを感じた。
すべて自分が教えた事だ。は忠実にそれを守っている。

分からなくても構いませんよ、と小さく笑うジェイドの声をは黙って聞いていた。