17.異常
連絡船キャツベルト。
早朝から航行する船内で朝食を摂った一行は、ケセドニア到着までの時間を自由に過ごしていた。
音機関好きのガイはキャツベルト探検に出向き、ティアは甲板へ。ルークもふらふらとどこかへ消え、イオンはアニスと共に風を浴びに行ったようだった。
普段であればイオンの傍で護衛をするだが、外敵に襲われる心配もないであろうキャツベルト船内ではアニスに任せることにした。
ジェイドも居なくなり残されたは、一人割り当てられた部屋で溜まった執務をこなす。タルタロスを拿捕されて以降、まともに目を通すことすら出来なかった書類は山となってを待っていた。
ケセドニア着港までの約二日間、寝ずに処理を続けてようやく三分の一が減るだろうか。頭の中で計画を立てながら握ったペンを走らせる。
「・・・・・・?」
数時間が経った頃、耳鳴りのような音が部屋の中に響き、は顔を上げた。
席を立ちながら誰も居ない部屋に素早く目を走らせる。譜業爆弾の可能性も考えたが、船室に入った直後に捜索したことを思い出しそれを頭から消した。
徐々に大きくなる音と歪み始めた視界に眉根を寄せる。原因が部屋に無いのであれば外だろうと踏んで扉へ向かう。
歩く度に大きくなる音、歪む視界、僅かに痛み始めた頭部。堪えきれないほどではない、扉はもうすぐそこのはずだ。伸ばした手が触れたのは、金属ではなかった。
「 、 ?」
僅かに動かした指が触れたものが何かを理解するより前に、体を前後に揺すられる。腕を掴まれていることに気づいたのは、目の前に立つ人の声が微かに耳に届いた時だった。
「・・・ 、ッ!」
「・・・・・・たい、さ・・・?」
「! しっかりしなさい!」
起こった時と同じくらい突然に、耳鳴りのような音も、歪んだ視界も、頭部の痛みも消え去った。パチパチと数回瞬きを繰り返す。
目の前での両腕を握っていたのはジェイドだった。
「失礼しました、大佐。もう平気ですので腕を放していただけますか。少々痛いです」
「・・・いいでしょう。ですがお断りします」
「何を ?!」
肯定からの否定に問いを投げるより先に、の体は宙に浮いていた。ジェイドに抱えられたのだと気づいたのは、部屋に置かれたベッドに下ろされた時だった。
行動の意味が分からず彼の顔を見れば、その眉間には深くしわが刻まれており、無言のままの装備を外していた。
は再び沈黙を選ぶ。どこから取り出したのか、ジェイドは手にしたタオルでの汗を拭いた。
「ケセドニアに到着するまで部屋から出ること、執務をこなすこと、武器の手入れをすることを禁じます。出来る限りベッドの上で寝て過ごしなさい。これは命令です」
「承知致しました」
「よろしい。・・・それで、何があったのです」
「執務中、耳鳴りのような音が部屋に響きました。認識した直後に席を立ちましたが、視界の歪みと僅かな頭痛が発生、時間が経つにつれいずれの症状も悪化しました」
「私が部屋に入ったことにも、あなたの名前を呼んだことにも気づかないほどですか」
「はい、申し訳ありません。大佐の声が認識できたすぐ後にすべての症状がなくなりました」
「・・・原因に心当たりは?」
「特に・・・、いえ、一点だけ。音が大きくなるにつれて、超振動を扱う時のような第七音素の収束と歪みを感じました」
のその言葉に、ジェイドは僅かに目を細めた。
しかし即座に思考を横に置き、グローブを外した手で目の前に横たわるの頬を撫でた。数時間前と比べ物にならないほど疲れ切った様子の彼女に、心配と苛立ちが募る。
キャメルブラウンの瞳が不思議そうにジェイドを見るので、少しだけ目を伏せて、それから真剣な表情を貼り付ける。
「何度でも言いますが、あなたの体が心配です。何か少しでも体調に変化があればすぐに知らせなさい。それが痛みであれば尚更です」
「はい」
「残りの仕事はバチカルに向かう船の中で終わるでしょう。極力ベッドから起き上がることのないように。いいですね、」
「承知致しました、大佐」
「それと」
「まだ何か」
「二人きりの時は、階級ではなく名前で呼ぶように」
反論も疑問も許さない。物理的に口を塞いで彼女の唇をたっぷりと濡らす。僅かに上気させた頬にも唇を寄せて、眠りなさいと頭を撫でる。何か言いたそうにしたは、それでも素直に目を閉じた。
それからケセドニアに到着するまでの約二日間、ジェイドがつきっきりで看病したことと、本当に最低限の寝起きしかさせてもらえなかったことに困惑することを、はまだ知らずにいた。