2.生きる術
「いつでもいいぞ」
「・・・では、いきますっ」
そう言って少女は男に向かって突進し、素早い動きで回し蹴りを繰り出した。
男はその場から動かず上体を軽く反らしそれを避ける。
当たらない事くらい最初から計算済みだ。
蹴りの勢いを利用し体勢を反転させ、素早く剣を引き抜く。
「やぁっ!」
勢いのある声と同時にキィン、という金属同士がぶつかり合う時の独特な音が響いた。
「 甘い!隙だらけだっ」
「うわぁっ!?」
横っ腹に剣の峰を当てられ少女が吹っ飛んだ。
咄嗟の受け身が取れず地面に肩を打ちつける。
「ふ、まだまだだな。受け身も取れないとは・・・実戦だったら死んでるぞ」
そう言って、少女を吹っ飛ばした男 ヴァネットは剣を鞘に納めた。
左肩を擦りながら立ち上がろうとしている少女 に、手を差し出す。
「はい・・・すみません」
は手を借りて立ち上がりながら、自身の剣をしっかりと握り直す。
「もう一度、お願いします」
「いや、今日はもう止めとこう。真剣に変えたばかりでまだ扱いに慣れていないだろう」
でも・・・と食い下がるに対し、ヴァネットは首を横に振って微笑んだ。
「今日は帰ったらエミリアと譜術の稽古もするんだろう。今ここで体力を使い切るのは得策ではない。分かるな?」
「はい・・・」
分かりやすく落ち込むに苦笑を漏らしつつ二、三度頭をポンポンと叩いた。
「そう落ち込むな。腕は上がってるんだ。真剣にだってすぐ慣れるさ」
「ほんとですか!上達してますか?」
養父に褒められた事により先程とは打って変わって顔中に喜びを露にする。
「俺が言うんだから間違いない。だが油断大敵だ。訓練を怠って力にあぐらをかいてはいけない。 あと、その剣は・・・」
「肌身離さず持っているように、ですね。分かっています」
「まずは真剣に慣れる事が大事だからな。じゃあ今日の稽古は終わり。さて、帰るか!」
「はい!ありがとうございましたっ」
そう言うとは体の緊張を緩め、養父と並んで自宅へと帰っていった。
家に養子として迎えられてから三ヶ月が経とうとした頃、は養父母に剣術や体術、譜術の稽古がしたいと言い出した。
それは養父が優れた剣士であり、養母が
刃を向けられた記憶の所為かも知れないし、はたまた違う理由があったのかも知れない。
ともかくは自ら望んで彼らに戦う術を教えて欲しいと頼みこんだ。
最初こそ断っていた彼らだったが、の並々ならぬ熱意に押され、最終的には承諾してくれた。
「戦う術を教えるのは構わない。ただし約束がある。それを守れるか?」
は二つ返事で約束を守る事を誓い、それから特訓の日々が始まった。
最初の稽古は、木剣を片手で長時間持ち続ける事から始まった。
これは力の無いにとって、とても大変な事だった。
更には両利きの方が何かと便利だという事で、左手も剣を扱う練習をした。
稽古を始めて数ヶ月経過した今では、右手の様に自在にとまではいかないものの、左手でも剣を扱えるようになってきた。
体術は、剣術の稽古と同じ日に教えてもらう事になっていた。
「まずは体力作りから」
というヴァネットの方針に従い、専ら走り込みやバランス感覚を養う訓練を行う事になった。
稽古を始めてから二週間経った日に、剣術・体術共に基本的な攻撃方法を習った。
身体が小さい所為で斬り上げ攻撃などはあまり意味を成さなかったが、基本の型はすぐにマスターした。
どんな体勢でも攻撃できるようにと、わざと身体が不安定な状況を作りそこからの対処法も習った。
毎日の体力づくりのおかげで、ただ細いだけだった身体に変化が表れてきた。
腕や足に健康な筋肉がつき始め、身長の伸びも早まったように感じられる。
一日の半分以上を稽古に充てても、倒れないくらいにまでなっていた。
日々感じられる自分自身の成長と手ごたえが、更にを稽古へとのめり込ませていった。
譜術の稽古は体内の音素を感じる事から始まり、養母・エミリアの譜術を見せてもらったり、音素学の本を読み譜術の便利さや危険性について学んだ。
エミリアは第七音素を扱う事が出来たので自身も使えるものだと思い込んでいた。
だから自分に第七音素の素養が無い事が分かった日にはそれはもうとてつもなく落ち込んだ。
どれくらいかというと、食後に用意されていたエミリア特製デザートに手を付けずに自室へと引きこもったほどで。
あまりの落ち込み様に珍しく困った顔をしたエミリアは、翌日のフォンスロットを調べ、第六音素以外の素養はあると告げたのだった。
二週間後には下級・初級譜術はもちろん、ロックブレイクとネガティブゲイトは使いこなせるようになった。
エミリアもの上達を自分の事のように喜んでくれていて、それがとても嬉しかった。
二人には毎日稽古をつけてもらえるわけではなかった。
それでも毎日欠かさず言われた通りの稽古を自主的にこなし続けたのだった。
稽古と同時にこの世界の仕組みや生きる上で、必要な事も学んだ。
例えば、料理の仕方、ホド島の地理、世界の歴史、キムラスカ・ランバルディア王国とマルクト帝国、ローレライ教団の違い。
フォニック語と古代イスパニア語、開かない扉の開け方、城や家への侵入の仕方。
素早く屋根に飛び移る方法、壁や木に登る方法、逃走の仕方、拘束された時に抜け出す方法・・・。
ともかく日常生活で役に立つ基本的な知識から、役立たないほうがいい知識まで実践と座学を交えてたくさんの事を吸収していった。
「おかえりなさい。今日は早かったのね」
「ただいま。お母さん」
色々あったなぁ、と思い出に耽っていたら、いつの間にか家に着いたようだった。
「今日は君と譜術の練習があるだろ?だから早めに切り上げてきたんだ」
「そうだったのね。さ、お風呂入ってきなさい。もうすぐご飯よ」
はぁい!と返事をしたは部屋に戻って剣を立て掛け着替えを取ると、お風呂場に向かって駆けていった。
パタン、と扉の閉まる音を確認してからヴァネットは妻に向き合った。
エミリアも何か話があると分かっていたため、夫の正面に座り直していた。
「あいつ の上達の速さは異常じゃないか?まだ4歳になったばかりだろ」
「ええ。音素の量も同じ年の子と比べて・・・いえ、ホドに駐留しているマルクト兵より格段に多いわ。今はまだ自分の能力に目覚めていないようだけど・・・」
「武力的な強さが全てじゃない、からな。強いことが悪いわけではないが」
「は強さの意味を履き違えないでくれると良いのだけれど・・・」
はぁ、と心配そうな顔でエミリアはため息を吐く。
「・・・にしても敬語もちゃんと使えるしなぁ。は良い家庭で育ってきのかもな」
しばらくあった沈黙を破るかのようにヴァネットは話し出した。
「そうね、聞き分けも良くて助かっているわ。食材の目利きも出来るのよ」
「もしかしなくともいいところのお嬢様だったかもしれないなぁ。・・・じゃなくて」
本題から離れつつある事に気付いたヴァネットは、手を振って話の流れを戻す。
「つまりだな俺が言いたいのは・・・“普通じゃない”って理由で虐められるんじゃないかってことだ」
「そうねえ・・・心配だわ。あの子可愛いし一人で溜め込みそうな感じだし」
「だろ?だからって、外に出ないで友達を作らないってのも良くないしな」
「左右色が違うけれど瞳の色もきれいよね。紺碧に漆黒・・・素敵だわ」
結局のところ、二人ともが可愛く心配で仕方ないらしい。
「もし、君があの日市場に買い出しへ出かけなかったらとは会えなかったんだな」
「そうね。これもユリア様のお導きなのかしら」
「ばーか。こういうのは運命っていうんだよ。ユリアに決められてるなんて思うよりずっといいだろう?」
この世界は、
このオールドラントに住むすべての人間が、預言を遵守する事は美徳であると考えているのだ。
そんな預言に染まった世界に住んでいる人間とは思えないような発言を、彼はよくする。
ローレライ教団の敬遠な信者ここに居合わせでもしたら、短く見積もっても三時間はユリアや預言に対するあり方について説かれていた事だろう。
そして彼女自身も、以前の自分だったら同じ事をしていたに違いないと思っている。
だが、エミリアは自分の価値観を変えてくれた彼を尊敬していたし、何より愛していた。
「ふふ、貴方らしいわ。それじゃあ今日はフレイムバーストを教えようかしら。あの術、便利なのよねぇ」
「よしっ俺も手伝うぞ!何をすればいい?」
「貴方は、料理の味見をしていて。今日も美味しくできていると思うわ」
譜術の稽古を手伝うつもりで発した言葉が、いつでも美味しい料理の味見係とすり替えられ。
がっくりと肩を落としながらも素直にキッチンへと向かう夫を、エミリアは愛おしそうに眺めていた。
願わくば、この幸せが少しでも長く続きますように。
そう祈らずにはいられなかった。