3.二人と一人
彼らと出会ったのは、雲ひとつない青空が広がる日だった。
たまたまその日に稽古が無かったせいかも知れないし、暇を持て余していたからかも知れない。ともかく二人と一人は出会ってしまった。
「・・・大丈夫?」
ゴンッという豪快な音に振り向くと、地面に男の子が倒れていた。転んでいたという方が正しいのかもしれないが。
の声にゆっくりと顔を上げた少年の目には見る見るうちに涙が溜まり、赤く擦り剥けた鼻と頬には血が滲んでいる。そのまま立ち去る事もできず、必死に涙をこらえる少年に「痛そうだね」と言いながら手を差し出した。
「あ、ありがとう・・・」
半泣きの少年はの手を取ると起き上がって、服についた汚れをはたいた。
少年が着ていた服を見ては驚いた。
華美ではなくとも高級で着心地が良さそうな生地に、外で走り回るのに差し支えない程度の豪華な装飾。一目で裕福な、おそらく貴族の子どもだと分かる格好だったからだ。
「・・・傷になってるね。ごめん、
「う、ううん、僕の方こそ助けてくれてありがとう!」
そういって半泣きの少年は笑顔になる。
明るい金髪がその笑顔にとてもよく似合っていた。
「ぼく、ガイ・・・」
「ガイラルディア様っ!」
少年の言葉は、向こうから走ってきたちょっと低めの少年の声に遮られてしまった。
「探しましたよ、ガイラルディア様。あっ、お顔に傷が・・・大丈夫ですか? すぐに治療しなければ」
「ぼ、僕なら大丈夫だよ、ヴァン!」
「いえ、そういうわけには・・・」
いきなりの介入者のおかげで金髪の少年の名前と、マロンペーストの髪色の恐らく年上だろう少年の名前を知る事が出来た。
敬語を使っている辺りヴァンという少年の方が身分が低いのかも知れない。仮にも貴族の子どもをあまり歳の離れてない、ヴァンという少年に任せているという事は余程信頼されているのだろう。
それとも何か別の事情があるのだろうか。
そんな事を考えつつ、どこで挨拶をしようか悩みながら目の前の二人を見ていた。聞こえてくる会話から分かったのは、ガイラルディアが稽古かなにかを抜け出してきたらしい事と、お姉さんがいて怒っている事くらいだった。
「あのー・・・」
痺れを切らしたは申し訳ない気持ちがありつつも話に入る事にした。
このまま目の前で繰り広げられる駄々が終わるのを待っていたら夕焼けが見られそうだ。
それは勘弁したい。
「知ってる人も来たみたいだから私はもう行くね」
はそうガイラルディアに告げて、ヴァンにぺこりと頭を下げて踵を返す。
「ま、待って! 君の名前は?」
「。・・・・」
「僕、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス!よろしくね!」
こちらこそ、と言って二人は握手をした。
長い名前だと思うと同時に後でガルディオス家の事を養父母に聞いてみようと思った。見ず知らずの人間にあっけらかんとフルネームを名乗るくらいだから、ホドでは有名な一族なのだろう。
「ガイラルディア様、お知り合いなのですか?」
「さっき転んじゃった僕を助けてくれたんだ」
「そうでしたか。さん、僕はヴァンといいます。ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。この度はガイラルディア様を助けてくださってありがとうございます」
深々と丁寧なお礼とされた事には戸惑った。
家に対するものであっても恐らくはガルディオス家やフェンデ家の方が地位は高い。
そして何より、そこまでされるほどの事をした覚えがなかった。
「あっ、・です。ご丁寧にありがとうございます。私の方が年下だと思いますし敬語は使わないでください」
「そうですか?・・・ではお言葉に甘えて。よろしく、。僕のことはヴァンと呼んでくれ」
は頷いてヴァンと握手を交わした。
ヴァンの笑顔は爽やかだった。
「っ! 僕のことも、ガイでいいよ!」
が分かった、と頷くとガイは満面の笑みになった。
「ガイラルディア様、そろそろお戻りにならないと。ペールも探しています」
「・・・わかった。っ、また明日ね!」
「う、うん・・・またね」
ぶんぶん、という効果音が付きそうなほど大きく振られた手につられて、は二人に向かってぎこちなく手を振り返していた。
ケテルブルクに居た頃、の世界はとてもとても狭いものだった。
同じ年代の子どもと会話した事などないのは当然、世話役や警備兵はもちろん大人だったし、すぐ上の兄も10歳以上離れていた。友達と言えばネフリーくらいしか思いつかないが、彼女は姉のように慕う存在であったし兄と違って毎日会えるわけではなかった。
毎日のように部屋の狭苦しい窓から雪の降る景色を眺め、遠くで子どもの楽しそうな声を聴き、部屋に置かれたおもちゃで遊んだり本を読んだりするだけで。
だからには、ガイが発した「また明日」という言葉の意味がよく分からなかった。
それでも初めて感じる気持ちは嫌じゃないと思ったのだ。
「ねぇ、ヴァン。の髪の毛の色、珍しかったね。真っ黒でさ」
「そうですね。眼の色も左右で違うようでしたし。ホドではあまり見かけませんね」
「右目が濃い青で、左目が髪の毛と同じで真っ黒だったよね。きれいな色だったなぁ」
「あの色は深い海の・・・紺碧、という色に近いのだと思いますよ」
そうなの? でもきれいだからいいやぁ、と上機嫌な主を微笑ましく思う。
いつもは一度駄々をこね始めると宥めるのが大変なのに、今日はすんなりと帰路についてくれた。
あの謎の少女 のおかげかもしれないなと、静かに彼女との短い邂逅を思い返した。
ガルディオス家やフェンデ家の名前を出してもさして驚かなかったは、他所から来た子どもなのかも知れないと考えていた。
ホドに住む貴族は多いとはいえど、ホド島を治める伯爵家の子どもの顔くらい殆ど知れ渡っていると言ってもおかしくない。しかも、ここはガルディオス家に程近い場所なのだ。その事実をはまったく知らないようだった。
もしくは興味がないだけなのかも知れないけれど。今まで出会った事のないタイプの少女であると、また話がしてみたいとヴァンは密かに思っていた。
「なんか変な人たちだったなぁ。同い年の子たちって皆あんな感じなの?」
答えてくれる人がいないから自然と大きな独り言になってしまう。
はホドに初めて来た時に見つけたあの小高い丘へ来ていた。正確に言うと、その更に奥の開けた場所に。
以前、稽古が無い日に散策 という名の探検だったが した時に見つけたところだった。
少し民家から離れているためか広くて風の通りが良く、とても静かで落ち着く場所だった。ここには魔物の気配もしないためヴァネットとの約束を破る事もない・・・はずだ。
譜術の練習は出来ないけれど、体術の基本の型と剣術の練習は出来る。いろんな場所で経験を積むのは良い事だと教えられたから、正に一石二鳥だった。
「んー・・・!ちょっと休憩しよ」
しばらく体術の基本型をやっていたは、一際大きな木の下に寝転んだ。
「あー・・・涼しいなぁ。ここ、秘密の場所にできないかな」
思いっきり身体を動かしたらその分だけ休む事。これもヴァネットとエミリアから教わった事の一つだった。
はそれを出来るだけ実行していた。稽古に夢中になり過ぎて忘れてしまう事もしばしばあったが。
彼らの言う事は信用できるし、何より正しいと思ったから。
「お兄ちゃん、どうしてるかなぁ・・・。前よりもっと、厳しく監視されてるんだろうなぁ」
徐にナイフを取り出し、磨き上げられた刀身を見つめながらは呟いた。
いつもの事とは言えど勝手に屋敷を抜け出し、あまつさえを行方不明にさせたのだから当然有り得る事だった。
刀身に自分の瞳が映る。
兄より少しくすんだ紺碧の眼を見つめは大きくため息を吐いた。
「やっぱり似てない。かく・・・隔世遺伝とかってやつなのかな?・・・羨ましいな」
兄の瞳は ケテルブルクでは一度しか見た事がなかったが 青空と同じ色。
ピオニー自身を映したかのような色だった。
それに比べての目は右が漆黒、左が紺碧という奇妙な組み合わせで。屋敷の人間でさえと会う度に左右の色を見比べるような視線を送るのだった。
変? どこがだよ。凄くキレイじゃん。
いつだったか兄がそう言ったのを思い出し、は微笑んだ。同時に淋しさが込み上げてくる。早いものでケテルブルクを離れてから季節は一巡りしてしまった。
「お兄ちゃん・・・私は元気だよ・・・」
逢いたい、なんて口に出せるはずがなかった。
言ってしまえば動けなくなりそうで。ホドに来た日のように泣いてしまいそうだったから。
胸元に隠してある碧色の髪飾りを服の上から握り締める。エミリアが用意してくれた部屋でチェーンを見つけてから、ネックレスにしていつも身に着けていた。
胸に込み上げてきたものを下唇を噛んで必死に堪える。
唇の痛みか、それとも淋しさ故か。雲ひとつない綺麗な青空がゆっくりと滲んでいった。
木々の間から漏れてくる太陽が暖かくて、いつの間にかは剣を抱きかかえる様にして眠っていた。