4.初めての友達
やっとペールとの厳しい稽古が終わったガイは、ヴァンと共にある場所へ向かっていた。
屋敷から少し離れたところにあったが、いつ行っても違う表情で迎えてくれるその場所がガイは好きだった。落ち込んでいてもこの場所に来れば少なからず元気をもらえる気がしていた。
広場を通り過ぎて坂道を上り、目的地が見えてくるとガイは一目散に駆け出した。
今日こそはあの木に登ってみせるんだ、と意気込んでいたからである。
「あんまり急ぐと転んでしまいますよー!」
後ろから自分に呼びかける声に、「大丈夫!」と返そうとした瞬間、お目当ての木の根元に何かが居るのを見つけて走るスピードを落とした。
少し上がった息を抑えながら恐る恐るそれに近づく。
近づくにつれて木の根元にいたのは魔物ではなく、人だという事が分かった。
後ろから足音が聞こえて振り向けば、置いていったヴァンの姿がそこにあった。
ガイはヴァンの服の裾を掴んで木の根元を指さした。
「ねぇ、人がいるよ・・・倒れてるの・・?」
「そうですね。・・・もう少し近づいてみましょう」
ガイが指さす方を一瞥し、ヴァンが先頭に立って用心深くその人に近づく。
数メートルの距離まで近づいても何の反応も返さないそれを上から覗き込む。
何かを抱えるようにして横向きに寝転がっていたのは、数時間前に会ったばかりの人間だった。
「あっ、だ!」
「ええ、この様子だと眠っているようです。心配しなくても大丈夫そうですね」
ヴァンはにっこり微笑み、それを見たガイは良かったぁと安堵の笑みを見せた。
「、っ。起きてー!」
「んー・・・誰・・・?」
「僕だよ! ガイ! ガイラルディア! ここで寝ちゃうと風邪引いちゃうよー」
ガイ? 誰だっけ、思い出せないや。
眠気を主張する頭を、目を擦る事で覚醒させようと試みる。
重たい瞼をこじ開ければ目の前に二人の男の子が並んで、こちらを覗き込んでいた。
「良かったぁ。なかなか起きないからすごく心配だったんだよ」
「起きてくれて一安心だ。ここまで熟睡しているとは思わなかったぞ」
「・・・気持ちよかったから、つい。起こしてくれてありがとう」
「友達だもん、当たり前だよ」
「 友達?」
「うん、僕らもう友達でしょ? ね、ヴァン」
「そうですね」
友達。
そう聞いて思い出すのは「俺の親友を見せてやるよ」とどこからか取り出したあの写真の事だった。
懐かしい、大切な思い出を語る兄の顔は。
羨ましかった。自分はきっと手にできないものだろうと思っていたのだ。
だが、目の前の二人は自分の事を「友達」だと言ってくれた。
胸に温かいものが広がっていく。
「うん! 友達、だね」
は笑った。嬉しくて、泣きそうだった。
「あのさ。それ、の?」
「えっ? コレのこと?」
ガイが指差していたのは、の脇にある剣だった。
は剣を手に取り膝の上に置いた。
「うん、そーだよ。お父さんにもらったの」
「へぇ! ねぇ、見せてくれる?」
「いいよー。でも危ないから抜かないでね」
「わかった!」
重いよ、と言いながら剣をガイの両手に乗せる。
想像以上の重さだったのか、ガイは抱えきれずお腹の上に剣を落としかけた。慌てて剣を支えたヴァンが胡坐をかいた自分の足の上に乗せ、ガイと一緒に眺める形に収まった。
「は剣をやるんだな」
「うん、お父さんに習ってるんだ。ヴァンもでしょ?」
「僕には、ガイラルディア様をお守りする義務があるから」
「そうなんだ! じゃあ強いんだね。いつか一緒に稽古してみたいな」
「いや、僕はまだまだだよ。でもそうだな、僕もと稽古してみたい」
ヴァンは笑いながらそう言った。
ガイは「稽古なんて楽しくないよ・・・」と手元にある草を抜いている。
「ガイは剣術稽古が嫌いなの?」
「・・・剣は格好いいけど、姉上が怖いしペールは厳しいし痛いから稽古は嫌い」
「そっかぁ、ガイとも稽古してみたかったけど。・・・姉上とペールって?」
「ぼくのお姉ちゃん、マリィベルっていうんだ! 怒ると怖いけど、でもすっごく優しいんだよ。ペールは、僕ん家の騎士なんだ!」
騎士? 軍人や警備兵とは違うのだろうか。
「マリィベルお姉ちゃんか・・・会ってみたいな。ヴァンは? 兄弟いるの?」
「いや、僕はいないな。はいるのか?」
「私は・・・」
聞き返されては言葉に詰まってしまった。
兄はいるがここでは居ない事になっている。
つい話してしまって養父母に嘘がばれるのも怖かった。
「・・・一人っ子だよ。ヴァンと一緒だね!」
言葉に詰まってなどいないように、努めて明るくそう言った。
の様子にヴァンは少し首を傾げて、もう少し聞いてみようと口を開いた。
直後、ガサッという音と共に魔物 デスシーカーが三匹飛び出してきた。
明らかにこちらに敵意を向けている。反射的にとヴァンは立ち上がった。
「ひっ! ま、魔物・・・!」
「お下がりください、ガイラルディア様!」
「何でココに!? 気配は無かったはずなのに・・・」
「くそ・・・迂闊だった」
そう言いながら、ヴァンは態勢を低くして腰に差してある剣 カタナを抜いた。
それが合図であったかのように、三匹は一斉にヴァンへ飛びかかった。
(ヴァンを助けなきゃ! でも、約束が・・・)
養父と交わした約束事項には「自分達がいない場所で、魔物と戦わないこと」というのが含まれていた。
破ったら、二度と剣術を教えてもらえなくなる。
それは嫌だった。
けれど、横にいるガイは震えていて泣きそうな目でヴァンを見ている。
ヴァンはなんとか一匹を倒したところだった。
上手く立ち回り急所は避けているようだったが、先ほどから防御に回ってばかりだ。
「・・・迷ってなんかいられないよね」
小さく呟き、剣の柄をぎゅっと握り締めた。
「? どうしたの・・・」
「ガイはそこに隠れてて。すぐ戻るから!」
そう言って、はカトラスを抜きながら走り出した。
銀の刀身が太陽に反射して輝く。
ヴァンに噛み付こうとしていたデスシーカーの腹を、力任せに斬りつける。
魔物は少し怯んでヴァンから距離を取り、今度はこちらに向かって牙を見せた。
「っ?!」
「私も戦うよ! こっちの奴は引き受ける」
「あ、あぁ。任せたぞ!」
話しながらも目はデスシーカーから離さない。
深呼吸をし、息を整える。魔物と戦うのは初めてで、緊張していた。
今まで稽古はつけてきた。だから大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
相手を見据え足に力を入れて前へ跳躍し、一気に間合いを詰めた。
「虎牙破斬っ!」
技名を叫びながら、相手を正面から斬りつける。
致命傷には至らなかったがデスシーカーはキャンッと鳴き、倒れた。
更に間合いを詰めて、胴体を真っ二つに斬り落とす。
一瞬、苦しみに悶えるような顔を見た気がしたが、確認する前にデスシーカーは音素に還っていった。
少し咳き込みながらヴァンの方を見ると、まだデスシーカーと殺り合っていた。
肩から血を流している。
それに気付いたは慌てて走り出し、ヴァンとデスシーカーの間に立ち塞がる。
間一髪のところで切り裂こうと伸びてきた爪を刀身で弾き返した。
「大丈夫、ヴァン?」
「ああ、なんとかな。くそ、油断した・・・」
悔しそうに呟くヴァンの声を背中に聞きつつ、は腰を落とし短く息を吸った。
「散沙雨っ!」
一歩で魔物との間合いをなくし、素早い突きを連続して繰り出す。
ヴァンの攻撃が良く効いていたためか、一撃で倒す事が出来た。
大きなため息を吐いて剣についた血を払い落とし、鞘に収める。
「はぁ、緊張したぁ~。ヴァン、怪我の具合は?」
「これくらいなんてこと無いよ。それより、ありがとう。は強いんだな」
「ううん。・・・すぐに助けてあげられなくてごめんね」
「謝る必要は無い。ガイラルディア様を守るのが僕の役目だから」
痛くないはず無いのにヴァンは笑って見せた。
「ヴァンっ!っ! 大丈夫?」
「ええ、二人とも無事です。ガイラルディア様、お怪我は?」
「僕は平気。それよりもう戻ろ? 早く治療しなきゃ・・・」
「そうだね、そろそろ暗くなるし。帰ろっか」
半泣きのガイが、早く早くとヴァンの手を引いていく。
少し後ろを歩くは夕焼けの眩しさに目を細めていた。
「た、ただいま・・・」
「あら、おかえり。もうご飯出来るわよ」
「わかった。・・・お父さんは?」
「まだ帰ってきていないけど、もうすぐじゃないかしら」
「そっか。じゃあお風呂入ってくるね」
そう言っては風呂場へ直行する。今日の出来事はすべて二人に話すつもりだった。
約束は破ってしまったけど、友達を見捨てるなんて出来なかった。
がお風呂から上がると、リビングにはヴァネットの姿があった。
「おかえりなさい、お父さん」
「あぁ、ただいま」
「あのね、お父さん。話があるんだけど・・・」
「ん、なんだ?」
怒られるなら、早い方がいい。
自分で言うより先に知られたら、とんでもない事になる。
「今日、初めて友達出来たんだけど・・・約束、一つ破っちゃったの。・・・ごめんなさい」
「そうか・・・どの約束だ?」
短いため息の後に紡がれた声はいつも通りだったのに、は怖かった。
その、落ち着いた声が。
「お父さんたちが居ない場所で魔物と戦わない事、っていうやつ・・・」
「魔物と戦ったのか。一人で」
「友達も一緒だったけど・・・三人で話してる時に急に三匹現れて・・・それで・・・」
「それは仕方なくだったのか? たまたま現れた、戦闘意欲の無い魔物を殺したんじゃなくて?」
殺した。
その言葉に胸が痛んだ。
デスシーカーの苦しげな表情が一瞬脳裏にちらついた。
「違うよ! ヴァンが一人で戦って、守ってくれて・・・約束思い出したけど、私も守らなきゃって。・・・友達、って言ってくれたから」
「・・・そうか。なら仕方がないかもしれないな」
そこで一度言葉を切ったヴァネットは、の目を真正面から見つめた。
彼女の肩が揺れ、息を呑むのが分かる。
「ただし、無益な殺生をしたら許さないからな。何かを傷付けたり殺す時は何かを守る時だけだ。 よく覚えておくんだぞ」
「はい・・・」
今やっと、自覚した。
例え相手から襲ってきたのだとしても、この手で殺した事に違いはない。
自分が、一つの命を奪ったのだ。
守るためだったとしても、それは自身の身勝手な理由にしかならない。
「、誰かを殺す怖さを忘れるな。そして、奪った命を後悔するな」
「すべての命を背負って生きていくんだ。人間は何かの、誰かの犠牲なしでは生きていけない」
彼の言葉に、は無言で頷いた。
「それで? 初めて出来たお友達、って誰なの?」
いつの間にか隣に来ていたエミリアに驚いたが、質問には答えられた。
「う、うん。あのね、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスとヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデって言う二人でね・・・」
そうして、は今日あった事をすべて話した。
二匹のデスシーカーを倒した事に二人は驚いていたがよくやった、と褒めてくれた。
嬉しかったし、ヴァンとガイを守れた事が誇らしかった。
けれど、その代償はあまりに大きくて。
その夜、二つの命を奪った剣をはいつまでも見つめ続けていた。