8.変わらない事実と

「被験者は殺さないように捕らえろ!もう一人は抵抗するなら殺しても構わん!」
「はっ!!」
怒鳴るような命令と共にマルクト軍人達との戦いが始まった。

ざっと周囲を見回して戦況を確認する。剣士と槍使いが10人、譜術士が8人、戦いに加わらないのが2人。
対するこちらの戦力は、共に人殺しをしたことのないとヴァン。
どう考えても勝ち目なんてない。だったら包囲網の一ヶ所を無理やりにでもこじ開けて戦線離脱して誰かに助けを求めるしかない。
マルクトの研究者達はヴァンを研究所に連れ戻して超振動発生装置というものに繋げたいのだから、二人で研究所に逃げ込んで装置を壊してしまうという事も出来る。
容赦なく振り下ろされる刃を受け止め、時には躱しながらはどこから突き崩すべきか、他にもっと良い方法はないか必死に考えていた。

  ヴァン!上!避けてっ!!」
空中に第四音素の塊が形成されたのを察知し、は声を張り上げる。
ヴァンが避けられるかどうか確認している余裕はない。目の前に伸びてきた槍の柄を避けて両足に音素を込める。
吹き飛ばされるように大きく宙を舞ったは、巨大なスプラッシュが誰も居ない地面に叩きつけられたのを視界の隅に収めながら、両手で剣の柄を掴み大きく振り被る。
一度、唇を噛み締めてからは大きく息を吸った。

「雷神降龍撃ッ!!」
の周囲に四発の雷が落ちる。焦げついた臭いとともに振り下ろした剣が纏っていた雷撃は、の着地点に居た二人の兵士の命を奪った。
血が飛び散る。肌の、肉の、骨の焼ける臭いがする。
人体の音素結合が解かれていくのを見届ける事もせず、は前方へと突進し詠唱中の譜術士へと狙いを定める。

「灼緋拳  散沙雨ッ!」
左手に集めた第五音素を譜術士に向けて放つ。地を這う拳撃は敵の右足を焦がし、周囲の音素の収束が消える。
その隙をついて散沙雨を見舞えば防御のために翳された杖と譜術障壁をあっさりと貫き、血飛沫を上げて敵が仰向けに倒れる。

あと2、3人倒せればヴァンと逃げられる。
騒ぎを聞きつけて誰かが、ヴァネットやエミリアが助けに来てくれるかもしれない。
上がる息を抑えながら、次の攻撃のために第一音素を高める。
速く、速くと内側から急かす声に押されて、威力を調整している余裕がない。
  ネガティブゲイトッ!」
振り返って視界に入った左半分、から5mほど離れた場所の青色めがけて術を放った。

耳に入った叫び声が、第一音素が擦れ合う事によって生じたものなのか、敵の断末魔なのか判断出来ない。
敵と相対している時に足を止めてはいけないという初歩中の初歩の心得も忘れて、はその場に立ち尽くした。
足元に第二音素を帯びた敵の譜陣が展開された事に気づきながら、それでもは今自分の目に映る光景に目を奪われて動けなかった。

  ヴァンッ!!!」
叫ぶと同時にグランドダッシャーがの身体を襲うも、勝手に動いた体は致命傷をもらわずに地面を転がった。
傷の具合など気にもかけずにはヴァンの方へと駆け出す。
だがそれも、立て続けに放たれる譜術によって阻まれた。振り返れば剣士が二人突進してきている。

「邪魔を、するなぁぁあーーーっ!!」

向かってくる兵士との距離を自ら詰めて、横一閃に振り抜いた剣に第五音素  魔王炎撃破を乗せる。
間を置かず援護していた譜術士にネガティブゲイトを再び放つ。
この場に立っている人間は剣士が4人、譜術士が1人、そして
ヴァンは敵の誰かが放ったサンダーブレードによって右肩を貫かれ、地面に倒れ込んでいた。
血が、たくさん流れていた。
マルクトの兵士が一斉に彼の元に駆け寄り、抱えて研究所の方へ連れて行ってしまった。
彼の姿はもう、ない。

守れなかった。傷つけてしまった。
助けられなかった。
一緒に生き残ろうって言ったのに。

甲冑の耳障りな音がの側から離れていく。被験者を捕らえるという使命を全うした彼らは呆然と佇むだけのに興味を失ったようだった。
右手から重みが消える。一瞬遅れて視線を落とせば血に塗れた体と、震える空っぽの右手が視界に入る。赤と緑で彩られた地面には先ほどまで握っていた剣が横たわっていた。
首を動かして周囲を見回せば不気味な静寂が死の臭いとともにを包む。
ついさっきまで人間だった体が音素に還っていく様子だけが静かな惨状を見つめていた。
「・・・行かなきゃ」
ぽつりと独り言を呟いては足元の剣を拾った。

!!」
自分を呼ぶ声が聞こえては顔を上げた。
声の主はヴァネットだった。のお昼寝スポットと化している大きな木が生えている丘から一人駆け下りてくる。遠くにエミリアの姿も見えた。

「良かった。二人とも無事だったんだね」
安堵の息とともに自然に口が笑みを作る。ヴァネットの驚愕に見開かれた琥珀色の目に血塗れの自分の姿が写り込んだ。
大丈夫、怪我してないよ。心配をかけまいと口を開こうとした瞬間、の身体は宙に浮いていた。ヴァネットが抱えてくれた事に気がついたのはエミリアの元に下ろされた時だった。
今度こそ、と開きかけた口もきつく抱き締められた腕によって縫い留められる。
桃花色の髪の毛と細い肩を抱くようにして回した自らの腕と手のひらに血がこびりついている事に気がついて、視界が滲み始めた。

「エミリア、怪我の確認が先だ」
「・・・そうね、ごめんなさい。、怪我は?」
「ううん、大したことないよ」
「この傷は大したことない内に含まれない」

目元を袖で軽く拭っては笑顔を作る。するとの左腕を掴んで持ち上げたヴァネットは少し怒ったような声での言葉を否定した。
彼が自分の道具袋から取り出したライフボトルを、の腕に万遍なくかけていく。かさぶたすら出来ていない真新しい傷がきれいに塞がっていくのをじっと眺めていた。

「・・・ごめんなさい。ありがとう」
「他に傷を負ったところはどこかある?」
「えーと、足かな。痛かったような気がしたけど・・・あんまり覚えてないや」

言いながらはボトムの裾をまくった。露出していた腕ほどではないものの白い肌には痣とこびりついた血が怪我の存在を主張していた。地面に座るように促されたはその言葉に素直に従う。ライフボトルで洗われた足は痛みが和らいで動かしやすくなっていた。
立ち上がって手当てをしてくれた二人に向き直り改めてお礼を口にしようとしたは、剣を引き抜いたヴァネットに驚く。
彼の目線の先を追う。眼下に広がるホドの街並みに似合わない金属の擦れる音が複数迫っている事にやっと気がついた。

  俺が時間を稼ぐ。エミリア、を連れて先に逃げろ」
「嫌だ!!お父さんが戦うなら私も戦う!」
「だめだ。、これ以上おまえが人を殺す必要はない。・・・エミリア、早く」
そう言い残し、ヴァネットは敵陣に飛び込んでいった。
すぐに譜術が散る音と斬撃が響き渡る。断末魔は  ヴァネットのものではない。
「大丈夫よ、。あの人なら・・・ヴァネットなら大丈夫」
手を引かれるままはエミリアと共に約束の場所  ユリアの墓標へと走った。

「なんで・・・?」
未だ綺麗なままのユリアの墓の前で、手を握ったままのエミリアに向けては疑問を口にする。
「なんで、私が人を殺したって」
「わかるわよ。が誰かを守るために剣を振るって、その結果他人の命を奪ったことくらい。だって私は  ううん、私たちはあなたの親なんだから」
「そうそう。親ってのは子どものやったことくらいちゃんと分かるもんだ」
その声に驚いて振り向けば、少しの傷を負ったヴァネットが微笑んでいた。
エミリアがヒールを唱えてヴァネットの治療を行う。その横で俯いていたの頭を大きな手がわしわしと頭を撫でる。

「ヴァンが・・・マルクトに連れて行かれたの・・・」
「ヴァン?ああ、フェンデのところの一人息子だったか?の友達の」
零れそうになった涙を懸命に堪えては頷いた。

「研究所にヴァンが捕まってて超振動発生装置っていうやつに繋がれてて、助け出せたのに、結局連れて行かれちゃった・・・。守れなかったの・・・」
「私、これじゃ何のためにマルクト兵を殺したのかわからない。一緒に、二人で生き残ろうって言ったのに私だけ・・・っ」
  待って。今、超振動発生装置って言った?」
突如、エミリアに両肩を掴まれの涙は驚いて引っ込んだ。彼女の言葉に首を縦に振ればエミリアの顔が青褪める。
超振動装置がどうしたんだろう。首を傾げながらヴァネットを見ると彼も難しい顔をしていた。

「人為的に超振動を起こそうとしているってこと・・・?ホドでそんなことをしたら島ごと崩落してしまうわ」
「超振動でセフィロトが消えるってことか。戦争どころじゃなくなるな」
「ええ。それに、装置に繋がれたヴァンくんも」

濁したエミリアの言葉には体の芯が冷えるのを感じた。
助けなきゃ。口に出したのが先か、駆け出したのが先か。
二人の制止する声を無視して登って来た丘を下りかけた時、地面が轟音と共に大きく揺れた。
前につんのめった体は受け身を取ったものの重力に逆らえずに地面を転がる。起き上がろうとした瞬間、見慣れた譜陣が目の前に広がった。
ああ、第二音素か。なんて暢気なことを考える頭と自分の名前を叫ぶ声と、誰に向けるべきか分からない怒りがの理性を奪った。

放たれたロックブレイクに髪の毛を散らされながらも無傷のまま体勢を立て直したは術者に向かって同じ術を放つ。悲鳴が上がる。マルクト兵だけではなくキムラスカ兵もいた。目の前は確かに戦場だった。
研究所の方に顔を向ける。ドス黒い光が柱の様に噴き出していて、揺れ続ける地面には様々な落下物が容赦なく地面を抉っていた。
殺意が向けられる。確かな意思を持った譜術がに向かって飛んでくる。
すべてが煩わしい。邪魔をするなら全員居なくなれ。
血が付着したままの剣を両手で握って振り被る。耳の奥で何かが弾ける音がして左眼の奥が大きく脈を打つ。
剣を振り下ろした瞬間、鋭い痛みが体を貫いた。

地面を抉った剣を包んでいた蒼い光の残滓がキラキラと宙に舞っている。
目の前にいたはずの兵士の姿は一つもない。
焼けつくような背中の痛みには膝をついた。

   良かった。間に合ったわ」
、感情で剣を振り回すな。命を奪っていいのは大切なものを守る時だけだ」

二人の声に振り返ると、エミリアとヴァネットがの身体に覆い被さるように後ろから抱き締めてくれていた。
それなのに少しも重さを感じない。
温度を感じない。
その二つが意味する事を飲み込んで、理解する。

「お父さんっ! お母さんっ!」
、愛しているわ。あなたはたった一人の私達の大切な子どもよ。  守ってあげられなくて、ごめんね」
「生きろ。生きてくれ、・・・辛くても、泣くことがあっても。どうか幸せに」
「・・・やだっ! 嫌だ嫌だイヤだ!!」

頬を撫でる手が、抱き締めてくれている腕が透けていく。
間を置かず二人の全身が崩壊していくのを止める術をは持っていなかった。
「待って・・・居なくならないでっ!」
叫んで、二人を抱き締めようとした瞬間、光が柔らかく弾けた。
エミリアとヴァネットはの目の前から消えてしまった。
跡形もなく。

空を抱いた腕は重量に逆らう事なく下ろされる。
地面は相変わらず激しく揺れていて、遠くの方に悲鳴が聞こえた気がした。
左眼に感じていた脈動は消えて背中の痛みだけが残っている。

「なんで、私だけ生きているんだろ・・・」

目の前にいた顔も名前も知らない人間を殺して。
身元も知れない隠し事をしたままの私を、愛し育ててくれた養父母を殺して。
初めての友達を助ける事も出来ずに。

「私が存在しなければ少なくとも二人は・・・お父さんとお母さんは死ななくて済んだのに」

の口の端から零れたのは憎しみに満ちた嘲笑だった。
ピントの合わない視界を覚ますかのようにの右の米神を大きな石が抉る。血が頬を伝う。

「二人は、痛かったのかな」

涙のように流れる血を拭いながらはふらふらと立ち上がった。振り返って地面に突き刺さった剣を引き抜く。
雨のように降り注ぐ水と岩石に見上げた空が随分と遠く、ホド島は瀑布の中に落下しているようだった。

  生きてくれ、かぁ・・・」

ヴァネットの最後の言葉を口にしても、涙腺は揺らがない。
ふと音素の集まりを感じて足元の光を拾う。それは装飾品を嫌うヴァネットが唯一身に着けていた指輪の内の一つに酷く似ていた。

「我が主   ヴァネット・アストリッドは既に息絶えた。我が新しき主候補よ。契約を望むならば右手を差し出せ」

指輪から音が発せられる度に強く光が輝く。何とどんな契約を交わすのかなど分からない。それでもこれはヴァネットの、養父の形見だ。は迷わず右手を差し出した。
途端、指先に痛みが走る。思わず引っ込めそうになったのを堪えてしばし待つ。指輪が一瞬だけ赤色を灯し、再び眩しい白い光を放ち始めた。

   名を」
「・・・
  其方を我が新しき主として認める。さあ、望みを」
「この場所から抜け出したい」

そう呟いた瞬間、ほんの少しの眩暈がを襲う。眉間に皺を寄せて気持ち悪さを堪えれば、目の前に大人二人は優に運べるくらいの大きさの  まるでおとぎ話の中から出てきたような  ドラゴンが現れた。
驚きのあまり口をきけずにいると、そのドラゴンは背中に乗れと言うように脚を折って身を屈めた。恐る恐るが跨るとドラゴンは首を上げ、立ち上がり翼を広げた。
一回、二回と慣らすようにその場で翼を動かした後、少し屈んで   勢いよく空へ飛び上がった。
突然の浮遊感に振り落とされないよう、は慌てて首元に抱きつく。上空から見下ろすホドの街はいくつもの陸地が地割れを起こし分断され海の中へと吸い込まれているようで、その大地も建物も人も既にの知らない場所と化していた。
海上にはいくつかの大型船がケセドニア方面へと航行している様子が見えた。

「・・・ホドから離れて。誰も居ない場所に行きたい」
「承知した。・・・次からは名を呼べ」

右手で握り締めた指輪から了承の声がして、ドラゴンは更に高度を上げてキムラスカ方面へと進路を取った。

最後には後ろを振り返る。

「さようなら・・・」

もう二度と戻る事の出来ない故郷に別れを告げた声は酷く小さく、自身でさえ聞き取れなかった。