10.4年後

ND2006 シャドウデーカン・イフリート・8の日

ホド戦争が始まったあの日から4年の月日が経った。
一人で生きていく事は想像以上に過酷で、何度か死にそうな目にもあった。
数える気にもなれないほどに魔物と人を殺した。誰かの血に染まり続けた両手にいつしか感情を動かす事を止めた。
次第に表情が硬くなっていく事を自覚しながら、それでも生き続けた。
死に逃げようとは思えなかった。

・・・?」
流通拠点ケセドニア。日頃から多くの人で賑うこの街の中でも特に人通りの多い場所へ店を構えた雑貨屋を眺めていた時、ふと自分の名前を呼ぶ音が聞こえた気がした。
品物の一つを手に取り吟味している振りをしながら音がした方に意識を向ける。
2軒ほど先の店の前から男が近づいてくる。外套のフードを被ったままのの顔を覗き込もうとしているのか少し体が斜めになっているようだ。
人混みのせいで顔はよく見えなかったが恐らく面識のない相手だと判断し、品物を元に戻してさりげなく店を離れる。

明らかについてくる足音に気づかない振りをしたまま宿屋の横の道に入る。すぐにもう一つの角を曲がって姿を隠し、気配を消して息を潜めた。
駆け足の音が困惑したように立ち止まる。男がのいる小道を通り過ぎたのを確認し、ナイフを取り出す。
周囲を窺いながらさらに奥へ進んでいく背中に近づくも、殺気に気づいたらしい男は腰に据えた剣に手を伸ばしながらこちらを振り返ろうとした。

「両手を上げて武器から手を放せ」
それを一瞬速く制したは手にしたナイフを男の首と背中に押し当てていた。
諦めたように男は武器から手を放し、両手を顔の前まで上げた。男の肩にかかったマロンペースト色の髪がわずかに揺れる。
その見覚えのある色を思い出しかけて、否定するようには首を振った。

「なあ、じゃないのか・・・?」
が口を開く前に降ってきた声に否定したばかりの可能性を突きつけられる。
いや、まさか、だってあの日。
「君は僕の友人のじゃないのか? ・・・もし僕の勘違いで迷惑をかけたなら謝るよ」
その名前を知っているのは。
その名前を知っている人はもう、居ないと思っていたのに。

「・・・名前は」
「ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ・・・いや、今はヴァン・グランツだ」
聞いた事のない姓にフードの下で僅かに眉をひそめるも、相手に向けていたナイフに意味がない事に気づき一歩引きながら両手を下ろす。
同じように両手を下ろした男がこちらを向いた。
フードを外し真正面に立つ彼をしっかりと見つめる。
低い声、逞しくなった身体、伸びた身長、幼さの消えた顔つき。変わったところはいくつもあるのに一目で彼だと解ってしまう。

  久しぶりだね、ヴァン」
「ああ、も・・・生きていたんだな。良かった」
私は同じように微笑む事が出来たのだろうか。
足元に落とした視線に握り締めたままだったナイフが映り込む。動揺を悟られないようにあくまでも自然な動作を意識しながらそれらをしまい、口を開く。

「その格好、ヴァンは 神託の盾騎士団 (オラクルきしだん) にいるの?」
「・・・ホド戦争の後に拾ってくれた人が神託の盾に関わりのある人でな。新兵も卒業して比較的自由に動き回れるようになったところだ」
「そう、なんだ。グランツさんは・・・あー、良い人?」
「妹の世話を任せられる人ではあるな。僕も入団するまで随分と世話になった」

妹。その単語に一瞬心が喜びに浮き立ち、すぐに沈んだ。
ミリアさんとヴァンはホド戦争を生き延びた事、そして身籠っていたヴァンの妹を出産した事は分かった。
だけど会話の中にミリアさんの名前はなく、代わりに出てきたグランツという名前。
それらが示す事実をわざわざ確認したいとは思えなかった。

「どこで間違ってこうなったのかな・・・」
水面に反射する陽射しを浴びるように跳ねる魚を見ながらはため息を吐いた。
ケセドニアでヴァンと再会した後、行く当てはあるのかと問われ首を横に振った。
一人で生活していくだけの仕事やお金はある。
死なずに生きていく事だけを日々の目的にしていたは定住や定職など考えた事もなかった。
神託の盾騎士団の任務でケセドニアに居たというヴァンから神託の盾 (オラクル) に誘われ、無下に断る事もできずに今に至る。
ケセドニアとダアトを結ぶ定期船の上、あと数時間で着港の予定だった。

甲板でぼんやりと海を眺めるのにも飽きて、割り当てられた船室に戻る。
任務を終えダアトへ戻る神託の盾とは別室、一般客との相部屋だった。同室の彼らはそれぞれが一人客のようで互いに干渉する事もなく、そういった意味では快適な船旅ではあったのだが。
(海を渡る時はフィーに乗ることが多かったせいかな・・・他人と同じ部屋は疲れる)
ベッドに横になってため息を吐きながら目を閉じる。
神託の盾騎士団への入団試験の事もこれから始まるダアトでの生活の事も、ヴァンへ謝らなければいけない事も何も考えたくなかった。

流通拠点ケセドニア
多くの人が行き交うその場所で周囲によく溶け込んだ白い外套から僅かにこぼれた黒髪を見て、彼女だと直感した。
声に出したのが先か足が動いたのが先か、ケセドニアの商店街に溶け込んだその姿の正体を確かめずにはいられなかった。
人混みをするする抜けていく後ろ姿を見失うまいと駆け込んだ路地で、まさか殺気と刃物を向けられるとは思ってもいなかったけれど。

静かな声、伸びた身長、幼さの消えた顔つき、冷えた瞳。記憶が正しければ9歳になったはずの彼女は、ホドで共に過ごした頃とはまるで別人で、悲しいくらいに変わっていなかった。
気づけばを神託の盾に誘い、半ば強引にダアトへ向かう帰還の船へと乗船した。
思惑がないわけではなかったが、ここでと別れたらもう二度と会えないような予感がしていたのは紛れもない事実だ。
船旅での船室はもちろん別であったし、ダアトへ帰るまでにやらなければならない仕事もあった。
食事時になると決まって姿を消すの姿をまともに見たのは実に3日ぶりの事で、着港まであと数時間に迫った頃の事だった。

互いに近況を語り合うのが正しい事なのか判断はつかなくとも、旧友と共に過ごしたいという気持ちはある。
甲板の隅の方で欄干に寄りかかりながら海を見下ろす彼女に声をかけようと足を踏み出しかけた時、大きな飛沫と共に魔物が甲板に打ち上げられた。
思い切り顔にかかった海水を袖で拭いながら剣の柄を握り締める。
怪我をしているのか血に塗れたウオントは甲板を這いずって逃げ出そうとし、酷く興奮した様子のタライタントスは荒々しく尻尾を振り回している。下手に攻撃を加えればこちらに矛先が向く事は明らかだった。
幸い、甲板に居るのはだけだ。魔物たちは彼女に気づいた様子もない。

(僕の方に注意を引いてその間にを逃がすか? いや、それよりも二人で攻撃してしまった方が  

  スプラッシュ」
小さな呟きが耳に届く。
音のする方へ向けた己の目に映ったのは、の足元に浮かぶ第四音素の譜陣と彼女の背後から吹き上がった巨大な水柱。そうして放たれた術が瞬く間に二匹の魔物を海へと押し流し、辺りは静けさを取り戻した。
一瞬の出来事だった。
徐に甲板の中心に向かって歩き出したが抉れた甲板をブーツの先でつつく様子を見、ヴァンは静かに踵を返した。焦りと興奮と、ほんの少しの畏怖を混ぜた笑みを口元に描いて。

ダアト港、しばらく歩いてダアト第四石碑の丘。頂上からはローレライ教団の総本山であるダアトの街並みが一望出来た。
そして此処に、これから生活の拠点となる神託の盾騎士団の本部がある。
ヴァンとは2時間後に教団の入り口で待ち合わせの約束をした。任務帰りの彼は帰還後の手続きや処理があるとの事だった。

「さて・・・街を見て回ろうかな」
いつものように外套のフードをすっぽりと被り、街の土地勘を出来るだけ正確に頭に叩き込むため石畳を道を進んだ。それは初めて訪れた街でまず最初にやると決めている事だった。
2時間では全てを見て回る事は出来なかったが消耗品の補充と宿の確保までは終わらせ、待ち合わせの場所へと向かう。
巡礼者が多いせいか、褐色の教団服に身を包んだ人々は何を聞いても丁寧に答えを返してくれた。
どうやらケセドニアやシェリダン、ベルケンドの人々とは違い、人を疑ったり邪険に扱ったり情報の見返りに金銭を要求するような事はないようだ。

「待たせたな、。入団手続き・・・正確に言えば神託の盾騎士団に入るための士官学校への入学手続きに必要な書類はもらってきた。これを記入して申請を出せば問題なく通るはずだ」
「ありがとう」
足を踏み入れた教会は荘厳という言葉がよく似合う造りと空気だった。
一般巡礼者とダアトに居を構えている信者、教団員、そして各所の扉の前で警備にあたる神託の盾兵士のアンバランスさに自然と眉間にしわが寄る。
緩やかで長い階段を上りながら書類に目を通していくと以外は問題にならなそうな、しかし避けて通れそうにないいくつかの問題を見つけてしまった。

「ヴァン、ちょっといい?」
「どうした?」
「・・・ここ、名前と出身地と保護者。書けない」
数歩先を歩いていたヴァンを呼び止め、手招いて壁際に寄る。
手続きのための書類をめくっていった半分程ほどにあったその項目は、ヴァンの知る己の名前も一生教える事のない本名も記入したくはなかった。

「これ、全部偽りでも良い? 顔も出来れば出したくない」
「名前と出身地はともかく、保護者・・・いや、顔も隠したいのか」
「面倒くさいんだよね、眼のことをいちいち聞かれるの」
「・・・顔はどうするんだ?」
「これで隠すよ」

そう言いながら外套から黒猫を模した仮面を取り出す。フードを外して顔に装着し、前髪を払い手を放して見せればそれは落下する事なくの顔に収まった。
「視界は多少狭まるけどもうずっとこれで戦ってきたから、私生活に影響はないよ。呼吸も出来るし」
驚きに目を瞠るヴァンの表情が少し面白くて仮面の下で口に弧を描く。
それを知ってか知らずか、少し困ったような顔をしながら深く吐いたため息の後に、ヴァンは口を開いた。

、言いにくいことを承知で聞く。・・・ヴァネットさん達はどうした」
   殺した」
一瞬息が詰まったのを、震えた右手を握り締めて誤魔化したのを、唇を噛み締めた事をヴァンは気づいただろうか。
言葉の意味を、あの日あった事をヴァンはずっと知らなくていい。教える必要だってない。
二人を殺した事は、取り返しようのない事実なのだから。

「そうか・・・悪かった」
頭に乗せられた手が優しく動く。
慰められている事に気づいて居た堪れなくなり、手を払い除けながらは仮面を外してヴァンの目を見つめた。
「謝るのは私の方。約束、守れなかった。・・・ごめん」
ごめんなさい。そうして頭を下げたところで起きてしまった事は変えられない。
この謝罪は誰のものか、なんて考えるまでもなく。

が謝ることじゃない。あの日、僕を守ろうとしてくれただろう? それで十分だ」
「でも」
「でも、それでは気が済まないというならそうだな・・・。これから、共に  
言いかけて、ヴァンは口を噤んでしまう。続きを促したら少し笑って何でもない、と。
それ以上は問いかけても無駄だと悟り、は仮面をつけ直す。残る問題は、名前と出身地。

「名前は・・・ノワールでいいか。出身地はどうしようかな」
「ホドのままでいいんじゃないか? ホド戦争の孤児だということにしておけば保護者がいなくとも不審がられない」
「うん、そうなんだけど・・・。記憶喪失で不明とかどうだろう」
「それは流石に僕との関係の説明がつかなくなる」
「僕との関係?」
「あぁ。僕はこれからこの教団内で地位を築いて、誰にも邪魔されない権力を持つ。さすがに預言で決められている 導師 (フォンマスター) は無理だが・・・。その時は、。君にも傍に居てもらいたい」

今度はが驚きに目を瞠る番だった。あまりに唐突な話に思わず仮面を外してまじまじとヴァンを見るも彼は不敵に微笑むだけで。
結局、出身地はホドと書いて提出した。
黒猫の仮面は傷だらけの顔を表に出したくないという理由一点で押し通した。当然ながら受付の人間には怪訝な顔をされたが、受理はしてもらえた。
士官学校への入学試験は翌日に行う事を告げられ、その日はヴァンと別れて宿に戻った。
日が完全に沈むまでには少し時間がある。は土地勘を頭に叩き込むため、再度街へ出た。

ND2006 シャドウデーカン・ローレライ・12の日

朝食を食べ終えたは試験までの間、体を動かすために街の外へ出かけた。
休憩の合間に昨日追加で渡された書類  今回の試験の概要を読み上げる。

「士官学校生との一対一の模擬戦。武器は支給されたものを使用。譜術の使用可」
「試合中のアイテムの使用不可。試験官が戦闘不能と見なした時点で摸擬戦は終了。試合間の休憩は10人抜きするごとに5分」
「志願者が居なくなるまで戦い続け、どれくらい勝ち抜けたかで階級が決定する。志願者全員に勝てた場合、特待生としての待遇を約束」

士官学校生の程度と人数がわからない以上、これが無謀な条件なのかどうか全く判断がつかない。
これまで神託の盾騎士団の兵士はもちろんそれに属する人たちと剣を交えた事がないのでなおさらだ。さすがにホドで戦ったマルクト軍よりは手こずらないと思いたいが。
ヴァンは士官学校も神託の盾騎士団の新兵も卒業したと言っていたから、彼と戦う必要がない事だけが救いだった。

「まあ、負ける気なんて微塵もないけど」
いつかケセドニアで購入したスティールソードは今日のところは役目がなさそうだ。
刀身に黒猫が映る。引き結んだ線で描かれた口元は今日も不機嫌そうだった。
そういえば至る所に隠し持っているナイフは使えるのだろうかと考えながら、は教会へと歩き出した。

  以上。何か質問は?」
試験のために連れてこられたのは神託の盾騎士団本部にある修練場だった。普段から戦闘訓練に使われる他、いくつもある部屋は士官学校生と新兵の寝床であるという。
「今回の試験で倒すべき士官候補生の人数は何人でしょう」
「最低でも30人といったところか。今回は正式な入学時期から外れているからな」
その言葉にはぐるりと周囲を見る。志願者なのかそうでないのか定かではないが、見物人は少しずつ増えていく。

(まるで見世物小屋だな)
実際にそうなのだとしても少し腹が立つ。足元の硬さを確かめる振りをして苛立ちの矛先を地面へ向けた。
  そうそう、言い忘れてた。この試合、賭けられてるぜ」
「・・・何人目でくたばるか、そういう賭け事ですか」
「訓練中の兵士には娯楽が少ないからなあ。こういうイベントは盛り上がるんだよ」
ケラケラと笑うその兵士は全く悪びれる事なく言ってみせる。
あほくさいと思いながら、はしばし賭けの倍率を考えてみた。僅かに口角が上がる。

「あなたは賭けていないんですか?」
「俺? もちろん賭けたさ」
「じゃあ今から追加で賭けてきてください。その賭けに勝ったら賞金の半分を私に」
「・・・どこに賭けろって言うつもりだ?」
試験官が入り口に現れた。ノワール! と新しい名を呼ばれる。
短く返事をして一歩踏み出し、は男を振り返った。

「名前を伺っても?」
「ヨナスだが・・・」
「では、ヨナスさん。  私が全勝する方に有り金全部、ガッツリ賭けてきて下さい。損はさせませんよ」

明らかに動揺している様子の気配を置いて、は試験官の前に立った。
公平を期すため、と二種類の服を差し出されて好きな方に着替えてくるよう言い渡される。
試験官は簡易武器庫を指さし、この中にある武器のみを使用するようにと言われ、は迷わず剣を手に取る。ついでにナイフも数本借りた。
着替えから戻ると荷物を入れる袋をもらい、武器庫の横に置かせてもらう。履き慣れた靴と両腕につけているサポーターは装備の許可を得た。

「その服を選んだってことは 譜術士 (フォニマー) か?」
「いえ。剣術も譜術もどちらも使います」
そう言いながら鞘から抜いた支給されたナイツフェンサーに刃こぼれがないか確認する。
何度か柄を握り直し、軽く振り抜く。

(よし、これなら扱えそうだ)
準備が出来た事を頷いて伝え、指示された位置につく。
いつの間にか前方で控えていた剣士が同じく所定の位置に立った。

修練場が静まり返る。
試験官のルール説明が拡声器で再度行われている。人間と対峙しても尚、の心に焦りや恐怖はなかった。
この試験の出来次第で今後の生活が大きく左右される事を意識すると、脈が少し速くなるのを感じた。
あぁ、これは。

「さあ、始まりだ」

鳴らされた大きな銅鑼の音に、は地面を強く蹴る。
仮面の下に浮かべた歪んだ笑みは、誰にも咎められる事はなかった。