11.新しい生活
ND2006 ノームリデーカン・ローレライ・12の日
入学試験から三ヶ月後。
は部屋に備えつけられたソファに寝転びながら本を読んでいた。
床に積み上げられた9冊の本の上に今しがた読み終えた本を置き、そのまま伸びをする。
机の上に置いたままの仮面を手に取り、起き上がって法服を模した上着を被る。
腰に剣を差し直し、10冊の本をしっかり抱えて部屋を出た。
午前11時。本来であれば士官学校で授業を受けている時間である。
士官学校生との摸擬戦はにとって物足りない試合でしかなかった。
30人の撃破が最低条件ではあったものの、結局は100人近い学生を倒し。
突然の神託の盾騎士団の新兵らも試合の参加者として認められ、一対一の斬り合いを重ねて数回目。
「 次の試合からは一対複数でやらせてくれませんか」
所定の休憩時間にライフボトルを一本飲み切ったはわざと声を張って試験官に打診をした。
騒然とする野次馬。狼狽える試験官。どこからともなく現れた教官と呼ばれた男。
先ほどから試合を見学していたという彼はの申し出を受け入れ、ルール変更を修練場に集まった兵士らに告げる。
戦場での局地戦を再現するかのような説明には一つ頷き、定められた立ち位置へ戻り剣を構える。
投入され続ける兵士たちを相手に、最後まで立っていたのはだった。
そうして無事に入学試験を文句なしの成績で突破したは翌日、士官学校の課程を一足飛びに卒業し、神託の盾騎士団の兵士として正式に迎え入れられる事となった。
とは言いつつも、ダアトに来たばかりのには本部及び教団内の構造を覚えたり所属毎の仕事を把握したり、ダアトの街を含むパダミヤ大陸の地理を覚えるなど、最低限やらなければならない事があった。
いずれはどこかの師団か指揮下に入り、神託の盾騎士団の一員として任務をこなす事になる。
そうした雑事に追われる毎日になる前に、は調べ物も兼ねて図書館の本を片っ端から読み漁る事にした。
図書館に本を返却し、新たに借りる本を選ぶ。手続きを待っている間、首と肩を回して一つため息を吐く。
(個人部屋をもらえたのは嬉しかったけど、図書館までの往復は流石に面倒くさい・・・)
それこそ最初の一週間は朝から晩まで図書館に入り浸っていたのだが、何かと突っかかってくる暇な兵士らのせいでは自室に引きこもる方を選んでいた。
「ノワール、いるか? 僕だ」
「あー、・・・どうぞ」
午後3時。昼食後の読書タイムにノックの音を響かせたのはヴァンだった。
間の抜けた返事をしながら放っておいた仮面をつけて起き上がる。机の上に散乱した紙はとりあえず端に寄せた。
入るぞ、という一言の後、部屋の扉が開かれる。一歩足を踏み入れたヴァンは苦笑を顔に浮かべた。
「・・・相変わらずすごいな」
「ごめん、言いたいことはわかる。片付ける時間が惜しくて」
大して広くもない部屋に自身のものは少ない。支給された服と私服はクローゼットに収納されているし、ヴァンと再会する前までの荷物もまとめて置かれている。
ベッドの上に手入れを終えた武器がいくつか並んでいるが、すぐに片づけられる程度の量だ。
ヴァンが苦笑を漏らしたのは部屋の中央に置かれたソファとローテーブルの惨状にである。
本の貸出は一回に10冊までという規定を守った量の本と、本の内容をメモをした山積みの紙。
殺風景の中にあるからこそ引き立つその場所があまりにも酷く、部屋全体が雑然とした印象になっていた。
「それで、どうしたの? 任務でも言い渡された?」
「いや、そうではない。ノワールはフェレス島を覚えているか?」
「フェレス島ってホドの対岸にあった島のこと? 東側の港の方から見えた・・・」
「あぁ、そのフェレス島だ。ホドが崩落した時の津波で島ごと飲み込まれて無くなったと言われていたんだが」
ヴァンの話では、先月のケセドニア方面での任務中にフェレス島の生き残りとみられる小さな集団を発見したという事だった。中でも魔物に守られている小さな少女がいるらしく、ヴァンはその子を神託の盾騎士団で引き取りたいと考えているようで。
「無事引き取れた暁にはノワールも一緒に面倒を見てほしいと思ってな。今日は先んじて承諾を得に来た」
「えぇ・・・。小さい子の世話なんてしたことないよ」
「ガイラルディアの面倒は見ていたじゃないか。問題なくできるさ」
決まりだとでも言うようにヴァンが肩を叩く。降参するように両手を上げれば彼は満足そうな笑みで一つ頷いた。
ヴァンの足音と部屋の周囲から人の気配が消えてから、は調べたい事を記した紙を懐から取り出した。
「超振動。
」
斜線の引いていない項目を一つ一つ指でなぞりながら読み上げる。インクにペンを浸してホド戦争とセフィロトを線で結び、その下に新たな文字を書いた。
「・・・崩落、か」
そういえばエミリアも崩落という言葉を使っていた事を今更になって思い出す。
ホド島は海の底に沈んでしまったのだと思っていた。だけどそれなら崩落なんて言葉で表現するはずがない。
「ヴァンが超振動発生装置に繋がれて、超振動のせいでセフィロトが消えて、セフィロトが消えたせいでホドが崩落した ?」
机に積み上げた紙の束から数枚を引っ張り出す。
そこに書かれていたセフィロトについての知識 大地に点在するフォンスロットの中でも特に強力な10ヶ所をセフィロトと呼称しており、地核から
が記憶しているものと相違ない事を確認し、先ほどの紙に一つの仮説を書き加える。
「・・・まさか、とは思うけど二回も同じ言葉を聞いたのは偶然じゃないはずだよね」
新たなインクを乗せた紙が乾いた事を確認してから、は再び懐へと仕舞う。
読みかけだった本を手に取ったところで、ふと敢えて聞き流した名前の事を思い出した。
「ガイ・・・君は、生きているのかな」
久しぶりに口に乗せた音はやけに重たく。本の続きを読む気も失せたは仮面をつけたままソファに寝転がった。
ND2006 ノームリデーカン・ノーム・13の日
翌朝、いつも通り閑散とする時間帯を狙って神託の盾騎士団の本部にある一般兵士用の食堂へ向かった。
神託の盾内では仮面を外さず偽名で通す事を決めている以上、食事は常に自室まで運んでいる。ダアトの街で食料を買い込んでも構わないのだが、食堂で提供される食事は安くておいしい。
組織に属した以上、貰えるものも使えるものも存分に有効活用したいと思っていた。
(オムライスも大盛に対応してるなんて・・・今日は朝からツイてるなあ)
朝食後の鍛錬と読書のルーティーンをこなし、昼食前に食器を返却。
その足でまだ行った事のない場所を探索しようと譜陣のある部屋に入ったところで、先客を認めて足を止めた。
「なんだ。誰かと思ったら神託の盾の有名人、ノワールじゃないか!」
「特待生様は昼間から訓練も任務もせずにふらふらお散歩ですか? いやぁ良い御身分ですねえ!」
さっきまでの気分が台無しだ。は大きくため息を吐いて踵を返した。
「 おい、待てよ!」
右肩を掴まれ無理やり振り向かせられる。よりも頭二つ分以上大きな男たちが半笑いで口を開いた。
「おまえ、時期外れの入学試験でちょっと良い成績を残したからって調子に乗ってるんじゃないのか?」
「修練場に姿も見せないくせに図書館にばかり入り浸って、挙句どこの師団にも属していないんだろう? 神託の盾騎士団の一員って自覚が全くないようだな」
「特待生様には訓練も任務も必要ありませんってか!」
(あーぁ、なんて頭の悪いのに捕まったんだろう。最悪・・・)
大声でバカにしたようにバカ笑いをする男たちにはうんざりした気分になった。
神託の盾騎士団の教官などが居る前では遠巻きするくせに。誰も居ない場所じゃないと突っかかって来る事すらできないのか。
「バカらしい・・・」
未だ乗せられたままの手を叩き落とし、腕を組む。仮面越しでは睨んでいても分からないだろうが、それでもはきつく彼らを睨んだ。
「で? ご用件は何ですか、先輩?」
「 っ、おまえムカつくんだよ! 調子に乗りやがって!」
「ムカついたから絡んできたんですね。じゃあもう用件は済みましたよね。それでは」
「ふざけるなっ!!」
再び踵を返そうとしたところに鞘から剣が抜かれた音が耳に飛び込んでくる。
大振りのそれをバックステップでかわし、は三度ため息を吐いた。
「もう一度聞きましょうか。 ご用件は」
「・・・修練場に来い。その鼻っ柱へし折ってやる!」
「どいつもこいつもバカばっかり・・・」
到着した修練場でを待ち受けていたのは50人ほどの兵士だった。
身なりや体格から推測するに一応新兵は卒業しているようだが、正直なところあまり手強そうな相手には見えない。
ひと月前のあの入学試験の事を人伝に聞いて、面白くないと思ったさっきの男たちと変わらない、どうでもいい存在。
「おまえが戦闘不能になったらおまえの負け、俺たちが全員倒れたら俺たちの負け。簡単だろ?」
「はあ、そうですか」
「ああ! 言い忘れていたが、審判者なんて置かないからな? 戦場にそんなもん存在しないんだ。当然だろう?」
「ええ、構いませんよ。 その代わり、死んでも文句言わないでくださいね」
昨日手入れしたばかりのスティールソードを挑発するように男に向ける。
頭に血が上りやすいのか何も考えていないだけなのか、その言葉に数人が地面を蹴って突進してきた。
後ろに下がっている
(人のこと舐めてるのはどっちだよ・・・)
腰を落として剣を構え、足の裏に音素を溜める。短く息を吐いて、は全力で前へ飛び出した。
修練場の地面が抉れるのを足の裏で感じながらスピードを落とさず突き進む。三歩分の距離を一歩で縮め、相手の懐で急停止。その反動を使って剣を振り抜き相手の手から武器を弾き落す。
地面に切っ先が突き刺さったのを利用し、剣の柄を支点に右から斬り込んで来た兵士の頭部側面に素早く回し蹴りを決める。
振り抜いた足の先に戸惑いと焦りを浮かべる兵士の姿を捉えると、はそこへ目がけて第二音素の譜術を放った。
柄を強く握って摩擦を起こし、蹴りの勢いを殺して地面に突き刺した剣の横に立つ。それを引き抜いて刃こぼれがない事を確認する。
わざととは言え隙だらけの状態を作っているのにも関わらず、今しがた床に寝かせた兵士らの呻き声しか聞こえない。
にやついた顔は既に消え去り、恐怖と焦りがない交ぜになった表情のその他大勢を一瞥した後は距離を取る。
そしてその中心を目がけて、今度は第一音素の譜術を打ち込んだ。
誰も避けるという事はしないのだろうか。
最低限の味方識別を施し致命傷に至らないよう配慮はしたが、術の範囲内に居た兵士らは軒並みまともに食らったようで。
「・・・ケンカ売ってきたのはそちらのはずですが? 戦う気がないなら戻ります」
短くため息を吐いて、剣を払い鞘に収める。
誰も止めるものが居ない様子に踵を返しかけたところで、は勝敗のルールを思い出して舌を打った。
「 失礼、これじゃ勝ち負けが決まりませんね」
再度彼らに向き直り譜術構成のために音素を高める。
怯む空気、呻き声、近づく甲冑の音、慌てたように集め始めた第四音素、怒りの感情。
己に向けられるそれらすべてに、は覚えたばかりの譜術で対抗する。
「焼き尽くせ イグニートプリズン!」
八方から立ち上る火柱が綺麗だ。そんな少々場違いな感想も、まもなく漂ってきた服と髪の毛の焦げる臭いに邪魔をされてしまう。
譜術の有効範囲から抜け出していた数人を体術で沈め、戦闘意欲のありそうな兵士が居なくなった事を確認し、今度こそ修練場を後にした。
「かっこよかった!!」
そんな言葉と共にの行く手を塞いだのは、濃い翡翠の瞳を輝かせた一人の子どもだった。
階段の中腹、ちょうど修練場を見下ろせる位置でその子どもはと同じ視線で立っていた。
「すっごかったね! びゅーんって走ってってバーンって弾いて蹴って、譜術でどかーんっ! って!」
「・・・ありがとう。でも出来れば今見たことは忘れた方がいいよ」
「どうして? すっごくかっこよかったのに!」
「君みたいな幼い子が見るようなものじゃないからだよ」
ぽんぽんと頭を軽く叩いて、は階段を上る。通り過ぎる時、ぽかんとした目が姿を追っていた事には気づかない振りをした。
今は何時だろう。今日はもう探索する気分じゃない。
お腹が空いたような気もするけれど食堂は混みあっているだろうか。
扉を押し開いて薄暗い廊下を進む。自室に戻るまでの道のりで、は観念したように振り返った。
「・・・何かまだ用事でもあるのかな」
「ぼく、イオン! 3歳っ!」
「・・・。そう、よろしくね」
「猫さんのお名前は? なんでお面してるの?」
少し息の上がった様子でそれでもにこにこと、興味津々といった様子でイオンと名乗る男の子は質問を重ねた。
ヴァン以外の人間との交流が皆無なせいかもしれないが、黒猫の面について正面から触れられたのは初めてだった。
幼さゆえの純粋さだろうか。怖いな。
「私はノワール。これを付けている理由は内緒」
「内緒っていつまで?」
「いつ・・・。そうだな、イオン君がもう少し大人になったらかな」
はぐらかすようにが言えば、何故か目を輝かせたイオン君は小指を差し出してきた。
「約束! 指切りしてくれる?」
「あ・・・うん。わかった、約束するよ」
手を差し出しかけて、目線の高さの違いに気づいたはイオン君の前に片膝をついた。
差し出した指に、まだ小さくて細い指が触れる。
「ぼくがもう少し大人になったら、ノワールがお面つけてる理由、教えてね!」
「・・・うん。約束する」
きゅっと握られた小指にじわりと熱が伝わる。その奥から覗いた満面の笑みになんて返せば正解なのか。
その答えを見つけることが出来ずに、馬鹿みたいに同じ言葉を口にした。
指切りをした後、改めて繋がれた手をは振りほどく事もせず、イオン君の進むがままに任せていた。
道中、イオン君はずっと笑って話をしていた。
マルクトで生まれた事。今年の誕生日の預言にローレライ教団行きが詠まれていた事。
誕生日から三週間後に教団の人間が迎えに来た事、両親はマルクトに住んでいる事。
毎日勉強をしている事、第七音素が使える事。
そして。
「ぼくね、導師になるんだって。預言にそう詠まれているんだって」
「だからぼくはたくさんお勉強して、第七音素を誰よりも使えるようになって、ローレライ教団で皆を預言で幸せにするんだ」
「だって、ユリアの預言は星の記憶で、繁栄の道標で、皆が幸せになるために絶対必要なんだよ」
「ぼくは導師エベノス様の跡を継いでオールドラントを幸せな未来に導くんだ!」
流れるように出てくる言葉と絶える事のない笑顔に、は仮面の下で不愉快さを隠さずにいた。
預言、預言、預言 。
預言に詠まれているから、イオン君がここに連れてこられた事が正しいのか?
人の気持ちなど、彼の寂しさなど預言の前では無に等しいとでもいうつもりなのか?
空っぽの左手を怒りの感情のまま握り締める。 分かっている。これが自分のための怒りである事くらい。
「ここがぼくのお部屋だよ! 入って入って!」
「・・・お邪魔します」
歩き始めて十数分。二つほど譜陣を渡った先の廊下の突き当りでイオン君は立ち止まった。
少し背伸びをして取っ手を握り押し開いたその扉の奥には、背の低い本棚が壁一面に並べられていた。
部屋の大きさはの部屋と同じくらいだったが、調度品の豪華さは比べるまでもなかった。腰に軽い衝撃が加わる。半身を捩って視線を落とせばそこに居たのはイオン君で。
「どうかしたの?」
「んー・・・」
「お腹空いた?」
「ううん、お腹空いてない」
時計の針は午後2時を回っていた。私はお腹が空いたのだけど彼は違うようだった。じゃあなんだと考えて、部屋を見回す。たくさんの本、導師になるための部屋、一人きり。
はイオン君に向き直った。
「 ぅわっ!?」
「危ないから暴れないでね」
誰かを抱き上げるなんて初めてだった。それでもやり方は知っている。
懐かしい記憶を思い出さないように背中に回した手に少し力を込めて、落とさないように抱え込む。
ベッドまでの数歩を慎重に歩いて、彼を抱えたままゆっくりとシーツをめくる。
開けたその場所にイオン君を下ろして靴を脱がし、横になるよう促した。
「ひとまず夕ご飯の時間までは寝ておいた方がいいよ。少し熱が出ているみたいだし」
「でもぼく、今日の分の勉強が・・・」
「元気になったらまたやればいい。体調が悪いのに無理する必要ない」
「でも・・・」
ベッドの端に腰かけて、尚も食い下がろうとするイオン君の頭をゆっくりと撫でる。頬が赤い。指先で触れた額も熱を帯びている。
「眠るまでは傍に居る。 また、会いに来るよ」
「・・・ほんと? また会える?」
「うん、もちろん」
「そっか・・・」
小さな音を紡いだ唇は、やがて規則正しい寝息を立てる。
勝手に部屋を漁る事を心で詫びて洗面所で冷えたタオルを一枚作り、イオン君の額に乗せた。ベッドの横の小さなテーブルに水差しとコップを置いて、短いメモを書き残す。
これは、ただの同情だ。
自分と似た境遇に置かれていながら安心できる居場所を見つけられずにいる、未来の導師を哀れんでいる。
ただ、それだけ。
「おやすみ どうか、良い夢を」
それでも、たくさんの愛情を与えてもらった事実は消えないのだから。