12.思惑との出会い

ND2006 ウンディーネリデーカン・ウンディーネ・29の日

未来の導師と預言に詠まれた少年、イオン君と出会ってから一月が過ぎた。
先延ばしにされていた 神託の盾 (オラクル) 騎士団としての任務も命じられるようになり、合同訓練や書類仕事が増え自由時間が削られていく。
時間のかかる細々とした雑務の処理には何もかも投げ出してしまいたい気持ちになる。

「・・・よし、イオン君のところに行こう」
大丈夫、書類の提出期限は明後日だ。今日はもう合同訓練もないし、任務は明後日だし。
今夜か明日の午前中にでも仕上げれば訂正があっても間に合う大丈夫。
言い訳と雑なスケジュールを並べ立てて、は自室を後にした。

「ヴァン、昨日ぶり」
「ノワール。丁度良かった、これから部屋に行こうと思っていたんだ」
「・・・報告書は明日出す予定だけど」
「あぁ、その話ではない。ちょっとついて来てくれないか?」

イオン君の部屋へと向かう道すがら出会ったヴァンに連れられてきたのは地下二階、神託の盾が捕らえた罪人らの収容所だった。
初めて足を踏み入れるその場所には用心深く周囲を探る。
少し前を歩くヴァンは迷いなく進めていた歩みを、一つの牢の前で止めた。

「以前、フェレス島の生き残りがいたという話をしただろう?」
「あぁ、確か魔物に守られている・・・女の子だっけ」
その言葉に頷いたヴァンは、牢の中を指さした。も視線を向けるとそこには鮮やかな桃色の髪を抱くようにして横たわる少女が居た。
その両手と首には華奢な体に似つかわしくない枷が嵌められている。
同じ牢には檻に入れられた中型のライガが一頭、譜術障壁に遮られているようで少女の手は届かないようだ。

「・・・随分と高待遇なようだけど、そんなに危険なの?」
「気性の荒い魔物と大差ない。なにせ言葉が通じないから、意思の疎通がまるでとれん」
「そっちのライガは?」
「この少女と共にいた魔物の一頭だ。どうしてもこの一頭だけは引き離せなくてな・・・」

ふぅん、と呟いたは屈んで少女の様子を観察する。
薄汚れた身体、手首の擦り傷、涙の痕、骨ばった足首。
まともな食事を与えていないのか、与えていても拒否するのかは図りかねたが厄介な事案だという事だけははっきりしていた。

「それで?」
「言葉を教える、信頼を得る、ダアトで生活をさせる、神託の盾騎士団に入団させる・・・優先事項としてはこんなところか」
「・・・これは任務扱い?」
「にしてもらえるよう上長に掛け合っているところだ」
「ここから出して良い許可もついでに貰ってきて欲しいけど」

浅くため息をついては再び少女を眺めた。
年齢はいくつくらいだろう。まともに言葉が使えるようになったらイオン君の遊び相手になるかもしれない。
気性の荒さがどのくらいなのか知らないは楽観的に考えていた。

そのままヴァンに連れられ、辿り着いた先に居たのは導師エベノスだった。
レムの日に行われるミサで教団の信者に預言を詠んでいる様子を遠目から見た事があるだけの人だ。
ローレライ教団の最高責任者が特別な肩書も持たない、掃いて捨てるほどいる兵士とわざわざ言葉を交わす必要なんてあるのか。
それとも何かやらかした?思い当たる節を探そうとしたところでヴァンが口を開いた。

「エベノス様、ノワールをお連れ致しました」
「ご苦労だったな、グランツ謡長。  君が特待生のノワールか」
「はい」
「なるほど、噂通り・・・いやそれ以上の逸材の様だ。未熟とはいえ我が正規兵を相手に無傷で完勝するその力、神託の盾騎士団に大いに役立てよ」
  御意のままに」

覚えたばかりの神託の盾式の敬礼をしながら、は仮面を被ったままな事も忘れて頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。
入学試験の事はともかく、一ヶ月前に絡んできた兵士らを返り討ちにした事まで知られているなんて。
私刑 (リンチ) は軍規違反だったっけ?  いや、絡まれたのは私なんだから処罰対象はあっちのはず・・・!)
礼を解き、導師からの言葉を待つ間、の頭の中はどうやってこの場を切り抜けようかとそればかりで。

  と思っておる。無論、受けてくれるな」

(しまった・・・なんにも聞いてなかった・・・)
申し訳ございません、もう一度ご説明いただけますか。なんて口に出せたらどれだけ幸せだろうか。
苦し紛れにヴァンを右隣にいる見上げる。
視線に気づいた彼は静かに頷いた。

「謹んでお受け致します、エベノス様」
「よろしい。詳細は追って知らせる。二人とも下がってよい」
「「はい、失礼致します」」
敬礼の後、ヴァンに続いて部屋を後にした。

導師の部屋の近くだからだろうか。
人通りのない廊下を進みながら、口を開いたヴァンの声は少し嬉しそうだった。

「想定していたより時間はかかったが、配属される師団も無事に決まった。これでノワールも正式に神託の盾騎士団の一員だな」
「ごめん。さっきのエベノス様の話、なんにも聞いてなかった」
「・・・は?」
「一ヶ月前のケンカのことが導師の耳にまで入ってるなんて思ってなくてさ。動揺してる内に話が終わってた」

だからもう一回説明してくれないかな。
心底申し訳なさそうな顔を作った後、仮面を被っていた事を思い出して顔の目の前で両手を合わせる。
目を丸くしたヴァンは何か言いたそうに口を動かし、最終的には眉間にしわを寄せてため息を吐いた。

ここで話す内容じゃないから、と連れて来られたのはヴァンの部屋だった。
促されるままソファに腰かけたの前に紅茶が置かれる。向かいに腰かけたヴァンがカップを口に運ぶのを見て、も仮面を膝に置いた。

「それで、どこからどこまで聞いていなかったんだ?」
「と思っておる。無論、受けてくれるな。・・・ってところだけ聞こえた」
「本当に何も聞いていなかったのか・・・」
呆れた視線を受けながら、今度こそ申し訳ない顔を作ってみせる。
湯気の立っている紅茶を息で冷ましながら、一口分を口に含む。
うん、美味しい。

「エベノス様からの命は二つ。一つは士官学校を卒業した新兵を中心に実地訓練の指導を行うこと。もう一つは、僕と同じ部隊で任務をこなすこと」
「ふーん、実地訓練の指導・・・。え、私が? 冗談でしょ?」
「大丈夫だ、私も同じ任を受けている」
「大して任務もこなしてない私を充てがうくらい深刻な人材不足ってわけ」
「実力が認められたんだ。喜んでいいだろう」

薄く笑みを口に乗せるヴァンを一瞥し、はカップに映る自分の顔を覗き込んだ。
肯定の返事をしてしまった以上、意図が読めなくとも与えられた仕事をするしかない。
短く吐いた息が水面を波立たせる。相変わらず表情を乗せてくれない瞳だ。

。僕がここに君を連れてきた日に告げた言葉を覚えているか?」
  教団内で地位を築いて誰にも邪魔されない権力を持つっていうあれ?」
「ああ、そうだ。その時は君にも傍に居てもらいたいと」
ヴァンはカップをテーブルに置き、顔の前で軽く手を組んだ。
まっすぐ向けられた碧いの目の奥に宿る静かな炎に、はゆったりとした瞬きで応じる。

が僕と行動を共にしてくれるのは、僕にとって都合が良い。君の強さも、賢さも、良くも悪くも人を惹きつける魅力もすべて、僕のために捧げて欲しいとすら思っている」
「買い被りすぎだよ。それに・・・ヴァンは何がしたいの?」
「母さんと約束した通り妹を守りたいだけだ。  この歪んだ世界から」

ようやく今日の目的地に辿り着いたは、ノックの前に深呼吸という名の大きなため息を吐き出した。
気を取り直して数回扉を叩く。
「イオン君、ノワールです」
「いらっしゃい! 待ってたよ!」

ああ、この笑顔、癒される。
は無言でイオン君の頭を撫でまわした。