14.硬く、強く(メジシルト、フォルストレ)
キムラスカ領バチカル、最上階、ファブレ公爵邸。
円形の中庭に設置されたベンチに腰掛け、は一人で木刀を磨いていた。
先ほどまで剣を交えていたルーク・フォン・ファブレは休憩だと言って自室に戻ってしまった。
ヴァンはというと左側の建物へと入って行ってしまったため、こうして一人取り残されている。
「さすがにやりすぎたかな・・・いやでも馬鹿にしてきたのはご子息様だし、公爵家に出入りしている剣術指導者の部下が弱いなんて有り得ないし」
≪主、独り言の邪魔をして悪いがこちらの様子を窺っている者がいるぞ≫
≪うん、気づいているよ。見覚えはない・・・と思う≫
フィーの言葉の棘に傷ついている場合ではない。
ここにいるのは神託の盾騎士団としての任務で、ファブレ公爵に気に入られなければならないのだから。
磨き終えた木刀をベンチの上に置いて、極力自然な動作で立ち上がる。
視線を感じた方向に顔を向ければその人と、そして隣にいた彼と目が合う。
瞬間、表情に出していない事を祈りながらは目を逸らした。
間もなくルークが不機嫌な顔のまま中庭に現れ、それを見計らったかのように姿を消していたヴァンも戻ってきた。
「ルーク、私の部下は弱かったか?」
「・・・いいえ、弱くはありませんでした。でも俺は負けていません」
「ああ、そうだな。このまま鍛錬を続ければノワールに勝てる日も来ることだろう。どうだ? おまえの練習相手として認めてくれるか?」
「・・・・・・ヴァン師匠がそこまで仰るなら」
素直さが欠片も見当たらない、可愛くない。
悔しくて泣いたのか目尻に赤い跡を残したまま中庭に戻ってきた時は、「なんだ。可愛いところもあるじゃないか」なんて思ったのに。とんだ間違いだった。
(決めた。ルークがどれだけ成長したとしても絶対勝たせない。負かす。負けを認めさせてやる)
指輪を介して聞こえたため息は無視をして、睨みつけてくる翡翠の瞳を冷ややかに見つめ返した。
その後、一時間ほど続いたヴァンの剣術稽古を見学していた。
子ども相手の指導とはいえ、ヴァンの教え方や捌き方はとても参考になった。
応用すれば神託の盾騎士団での訓練にも役立てられそうだ 特に精神面で。
自身、やや頭に血が上りやすい性格だという事は理解していて、未だ抑えきれていないのだからまだまだ未熟だと言わざるを得ない。
「ルークぼっちゃま、お稽古お疲れ様です。お飲み物とタオルを用意しました」
「ふん、ただの休憩だ。またすぐ戻る」
その声を聴いた瞬間、は表情筋に力を込め、言い聞かせるように頭の中で言葉を紡ぐ。
今この場にいるのは、神託の盾騎士団のノワールだ。それ以外の何者でもない。
近づいてくる足音にすっとベンチから立ち上がる。
「ルークぼっちゃまから、お飲み物をお渡しするよう仰せつかりました。よろしければどうぞ」
「 お気遣いありがとうございます」
「こいつはガイ、俺の使用人だ。さっさと好きなものを取れ、ヴァン師匠が待っている」
差し出された銀のトレーに手をつけずにいたら、汗を拭き終えたルークがわざわざ寄ってきた。
雑な紹介にヴァンへ視線を送れば小さく頷いたので水の入ったグラスを手に取る。
ルークに礼を述べながら、不自然でない程度に水の濁りや異臭がないかを確かめながら、僅かに口をつけた。
「ただの水ですよ」
「・・・失礼致しました。人前での飲食が苦手なものでして」
グラスを手に取った時点でルークはに背を向けて、ヴァンの元へ駆け出していた。
舌の痺れもない、味におかしなところもない事を確認し飲み込むと、ガイと呼ばれた使用人が少し笑いながら口を開く。
そこまであからさまなつもりはなかったけれど、やり方を考え直す必要がありそうだ。
「申し遅れました。神託の盾騎士団第五師団所属ノワール奏長でございます。どうぞお見知り置き下さい」
「俺・・・私はガイ・セシルです。ルーク様の使用人ですが、庭師のペールの手伝いもしています」
互いに軽く会釈をし、ガイの手がグラスを引き受けるために差し出される。
あまり減っていないグラスの中身をちらりと見て、もう少しだけ喉に流し込んでから彼に手渡した。
それから30分ほど続いた稽古の終わりに、何故かまたルークを相手に木刀を振るう事になった。
今回はヴァンから「打ち込むように」と指示が出たのでその通りに攻撃を仕掛ける。
剣の筋は変えずに一回目は腕力で、二回目はテクニックで、三回目は体の捌き方でそれぞれ打ち負かし、それを何度か繰り返す。
4セット終えたところでヴァンから終了の合図が出た。
何度も木刀を取り落とし尻もちをついても尚食らいついてきたルークに手を差し出すと、フルスイングで弾かれる。
予想していた事だからその行為には何も感じなかったが、それだけ力が残っているならもう1セット出来るだろうとヴァンを振り向けば、苦笑いで首を振られる。
立ち上がったルークはヴァンに稽古の礼を告げ、を悔しそうに睨みつけると自室へと戻っていった。
「いや・・・悔しがりすぎでしょ」
「そうか? 向上心があって良いではないか」
「ほんの2時間前の手合わせでコンテンパンにされた人に、なんで今日勝てると思ったんだろ・・・不思議」
「なんにせよ、ルークに気に入られたようで何よりだ」
どこを見て気に入られたと思ったのか聞こうかと思ったが、まあヴァンがそう判断したのならいいかと肩を竦めるに止めた。
今日はもう終わりかと尋ねれば肯定の返事が返ってくる。
中庭の時計は午後4時を回ったところだった。依頼をこなすには十分な時間がある。
ラッキーだと思いながらファブレ邸を出ようと踵を返すと、何故か掴まれる腕。
連れていかれたのは、屋敷の奥にある庭師小屋だった。
「失礼するぞ」
「ヴァン! !」
ヴァンは周囲に素早く目を走らせ誰も居ない事を確認した後、はその小屋に放り込まれた。
抗議の声を上げかけただったが、中から響いた声に口を噤む。
そこに居たのは、ルークの使用人のガイ・セシルと、庭師のペールだった。
「! 良かった、生きていたんだな! あの日ずっと待っていたのに全然来てくれないから 」
「ノワール」
「・・・え?」
「神託の盾ではノワールって名乗ってるから。そっちの名前で呼んでくれる」
「あ、ああ・・・ごめん」
しゅんと眉尻を下げるかつての友人に、言い方がきつくなった事を詫びるべきか迷っているとペールが口を開いた。
「私とガイラルディア様は身分を偽ってファブレ邸の使用人として働いている。ノワールも、これからヴァンと一緒に出入りすることになるんじゃな?」
「はい。まあ私は試用期間というか・・・」
「今回のバチカル滞在中に公爵と奥方様、そしてルーク様に気に入られることが出来ればノワールもこの屋敷に出入りすることになります」
「そうか。ならばあまり人目につくところでの会話は避けることにしよう」
「ええ、怪しまれるような言動は互いに避けなくては」
(そうか・・・この二人は、ファブレへの復讐でここに居るのか・・・)
確かにキムラスカ軍はホド島に乗り込んできたし、島内も周辺海域も戦場になった。
ホドの領主であるガルディオス家とファブレ公爵が剣を交えていてもおかしくはない。そして生き残ったガイが復讐のために懐に入り込み、首を取るための機会を虎視眈々と狙うのも理解出来る。
じゃあ、ヴァンは? なんでファブレに取り入ろうとしているんだ?
ヴァンを超振動発生装置に繋げたのは、マルクト帝国譜術・譜業研究所の研究員だ。ホドに攻め込んできたキムラスカを逆恨みしているとしても何かがおかしい。
「・・・-ル? ノワール、聞いているのか?」
「えっ、いやごめん聞いてなかった」
「まったく・・・。奥方様に挨拶をして帰るぞと言ったんだ」
「ああ、了解」
二人に軽く会釈をして扉へ向かうヴァンに続こうとした。その足を止めたのは、とても聞き馴染みのある少し頼りない声だった。
「待って。・・・な、また会えるよな?」
「 ガイが、私の名前を間違えなければね」
「! あぁ、またな、ノワール!」
「うん、また」
笑顔の少年に手だけ軽く振り返して、今度こそ庭師小屋を後にした。
「聞いていない」
「何がだ?」
「ガイラルディアが居るなんて聞いていない」
「聞かれていないからな」
ファブレ夫人 シュザンヌ様に挨拶をした後、ルークに見送られ 彼が見送りたかったのはヴァンだけだったと思うが 屋敷を出る。
バチカル滞在のためにわざわざファブレが用意したホテルへ向かう道中、天空客車の中ではヴァンに不満をぶつける。
それも軽く躱されては不機嫌を表に出す。にも拘わらず、ヴァンはルークとの手合わせ以降ずっと機嫌が良い。
その様子にもう何を言っても無駄だと諦めて、その後は無言で部屋まで向かった。
明日の予定を確認した後、ブーツを脱いでベッドの中に潜り込む。
目を閉じて今日の事を思い返しながら、耳を塞いで息を殺す。今ここで止める息が永遠になればいいのに。
琥珀色の髪、伸びた身長、少し低くなった声、青の瞳の中に在る黒い感情、残る幼さ。
ガイラルディアが生きていた。それはとても嬉しいのに。
君はそんなにも憎んでいるのか。
「あーあ、もう嫌だな・・・」
人は変わる。年月とともに積み重ねた経験が、人を変えていくのだ。
根が変わるのが、幹が変わるのか、枝葉が変わるのか。
それはきっと人それぞれで、気づかない事に気がつきながら昨日の続きの明日に向かって歯を食いしばるのだ。
失くしたものを、違う形でまた手に入れて、思っていたのと違うと嘆いて、失う事に怯えている。
「・・・嫌だ・・・自分が、嫌だ」
今すぐにでも刃物を突き立てたい衝動を抑え込むのは、いつも彼らの最期の言葉だった。
これからも時折やってくるこの波を上手にやり過ごしていくだけ。簡単な事だ。
「人は変わる、私だって変わる。期待するな、深入りするな、心を許すな。ここは私の帰る場所じゃない・・・そんなのもう、無いんだから」
胸に手を当てなくなった代わりに、黒猫の仮面を縋るように抱き締める。
今は何も考えない。考えたくない。
考えるのは、明日の私に任せればいい。
大丈夫、大丈夫と繰り返して微睡みに身を委ねる。
意識が底に横たわりそうになったその瞬間、はバッと飛び起きて時計を掴んだ。さっと血の気が引く。
「やばい、間に合わない・・・!」
外套と剣を引っ掴んで、開け放しの窓から勢いよく飛び降りた。