15.硬派な大鎌と非常識な眼鏡

ND2008 シャドウデーカン・ローレライ・39の日

「・・・-ル・・・ノワール、いる?」
「・・・誰」
「アリエッタ、です。ノワール、ドア開けて」

一定のリズムで鳴り響く音に重たい瞼を押し上げれば、カーテンの隙間から陽射しが差し込んでいた。覚醒しない頭で返事をすれば外にいるのはアリエッタだという。
仕方なくベッドから起き上がって部屋用に新調した靴を履く。ボサボサの頭を手櫛で雑に整えながらベッドサイドに置いた黒猫の仮面を顔につけた。

扉に施した簡易な術錠を解除し、備えつけの鍵を左に回す。
そのまま取っ手を握って引けば、桃色の髪を長く伸ばした少女が立っていた。
廊下に顔を出し人影がない事を確認して、アリエッタを招き入れる。脇に従えたライガの尻尾が扉を潜り抜けたのを確認して、はドアを閉めた。

「おはよう、アリエッタ。朝早くにどうしたの」
「おはよう、です。アリエッタ、ノワールに伝言もらった、です。ヴァン謡手から、です」
「ヴァンから伝言? なんて?」
「11時に、お部屋に来て、です。予定変わった、です」

11時と聞いて、は部屋の時計を見た。時計の針は午前9時38分を指している。
一昨日の時点では集合時刻は午後1時だったから、朝寝坊が出来ると思って昨夜は夜更かししていたのに。
会議の予定ではないから準備する資料はない。身一つで行けばいいだけだが、如何せん眠い。

「あの・・・アリエッタ、ちゃんと伝わった、です?」
「ん? ああ、大丈夫。アリエッタはヴァンからの伝言をちゃんと伝えられたよ。ありがとう」
「伝えられた・・・うん、良かったです」

にっこり笑うアリエッタの頭を軽く撫でてから、散らかしたままのソファテーブルの上をざっと片づける。
見られて困るものは置いていないか確認しながら、アリエッタの識字能力はまだそれほど高くない事を思い出した。
かといってここで片づけを中断するのもおかしいだろうと、本と紙の束をテーブルの端と床に寄せて彼女が寛げるスペースを作った。

「紅茶・・・か水しかないけど飲む?」
「紅茶、冷たいのほしい、です」
「わかった。ソファに座って待ってて」

昨日作ったアイスティーがまだあったはず、とグラスを片手に冷蔵庫を開ける。
目的のものを注いで再びアリエッタのところに戻ると、彼女は友達のライガを撫でていた。
「身支度してくる。誰か来ても通さなくていいし、返事もしなくていいから」
「わかった、です」
クローゼットからいつもの階級別教団指定服を取り出してバスルームへ向かう。
アリエッタが奥の部屋に入って来る事はないだろうが、念のため鍵もかけた。

午前10時25分。
シャワーと着替えを終えたは冷蔵庫に入れっぱなしだった残りのフルーツを口に入れ、水を飲んだ。
本来なら食堂まで出向いてもう少しまともな朝食を摂るのだが、今日は時間がない上にアリエッタが部屋にいる。
仕方がないから昼食に期待しよう。一つため息を吐いて、冷蔵庫の扉を閉めた。

「お待たせ、アリエッタ。少し早いけどヴァンのところに行こうか」
「うん。・・・あの、紅茶、ありがとう」
「どういたしまして」
差し出されたグラスを簡素なキッチンに置いてから二人は部屋を後にした。

「ノワール! アリエッタ!」
「おっと・・・おはよう、イオン君」
「イ、イオン様・・・」

後ろから迫って来る軽快な足音に首だけで振り返れば、目を輝かせて走ってくるイオン君がいた。
勢いを殺す事もなく後ろから突撃されて、僅かによろめきつつも倒れないように踏み止まる。
最近は体調が良いのか、彼はを見つける度に走って飛び掛かる遊びを繰り返していた。
出会った頃より随分と身長が伸びたイオン君の頭を軽く撫でると、にっこり笑ってから離れる。

「イオン君、アリエッタがびっくりしてるから」
「あ、そっか。ごめんね、アリエッタ」
「ううん、イオン様・・・アリエッタ、大丈夫です」
「アリエッタ、ぼくのことはイオンでいいんだよ?」

その言葉にアリエッタは首を振る。
「アリエッタ、イオン様の 導師守護役(フォンマスターガーディアン) になる、です。アリエッタ、イオン様のこと、守るです」
「導師守護役・・・そっか、ぼくは導師になるんだもんね・・・。じゃあ、アリエッタはぼくだけの導師守護役だよ!」

アリエッタの手を握って目を細めるイオン君と、頬を赤らめ頷くアリエッタ。
大変微笑ましい光景だと、は仮面の下から二人を眺める。
なんでアリエッタがイオン君が将来導師になる事を知っているのかとか、まだアリエッタは神託の盾騎士団に入団していないとか、ヴァンとの待ち合わせの時間に遅れそうだとかを気にしなければ。

懐から時計を取り出す。午前10時50分。
アリエッタの歩く速さに合わせていては多分遅刻するだろう。
申し訳ないと思いながらもイオン君と別れて、アリエッタにはライガに跨ってもらう。
一人と一匹は小走りでヴァンの部屋へと向かった。

午前10時55分。
なんとか5分前に到着した二人と一匹は扉をノックして入室の許可を得る。
「ごめん、遅くなった」
「5分前だ、構わん。急に時間を早めて悪かった」
「いや、別に」
短く返答すればヴァンは執務机から顔を上げる。
意外そうに片眉を上げての横にいるアリエッタを見、納得したように頷く。

「次もアリエッタを派遣するか」
「せめて前日にしてほしいよ・・・」
「そうか、では気をつけよう」

くすくすと笑うヴァンに眉を寄せながら、首を動かして椅子に腰かける二人の男に視線を向ける。
座っている椅子が見えないほどの巨漢の男と空中に浮遊する椅子に偉そうに踏ん反り返る色白の眼鏡、どちらにも見覚えはない。
アリエッタは怯えているのかの袖を握り締めて隠れている。

「紹介しよう。ラルゴとディストだ。昨日付で神託の盾騎士団へ入団した」
「・・・ノワールです。よろしく」
「ア、アリエッタ、です」
紹介が雑すぎるしどっちがどっちか分かんないし。という不満は心の中だけに留めて軽く会釈をする。
巨漢の方は頭を下げたが、眼鏡は鼻を鳴らすだけだった。

「ヴァン、もういいですか? 私は研究施設構築のためにやることが山積みなのです」
「ああ、構いませんよ。何かあればまた連絡します」
その言葉を聞いて、空中椅子の眼鏡は何を操作する事もなくスーッと扉へ移動した。
アリエッタの怯えが直に伝わってくる。
それよりもは興味が勝った。アリエッタの手を軽く押さえて男に近づく。

「研究って何? 譜業? 譜術?」
「・・・答える義理などありませんよ」
「それって音機関? 自作?」
「な、なんなのですか、あなた」
「どういう仕組みで動いてるの? コントローラーないの? 音素振動数で制御してるの?」
「~~わ、私は忙しいのです! ち、ちょっと音機関に興味があるだけのあなたに構っている暇などないのです! 忙しい私とどうしても話がしたいと言うのなら特別に部屋まで来ることを許可してあげます! 別に待つつもりなどありませんが! どうしてもというのであれば!!」

やかましく喋り散らかした後、大きな音を立てて出ていった眼鏡には腕を組んでため息を吐いた。
「ため息を吐きたいのは私の方だ」
「なんでさ。一つも質問に答えてもらえなかったんだけど、何? あいつ」
「譜業・音機関と第七音素の研究員のディストだ。彼の頭脳は優秀だぞ」
頭脳は、と強調した点が気になる。
音機関と第七音素の研究員だというディストが去って行った扉を一瞥して、再度ヴァンに向き直る。

「そっちに座ってるラルゴ・・・さんは?」
  俺はケセドニアでキャラバンをやっていたところをヴァン謡手に拾われた」
「彼は中々腕の立つ傭兵でな。ぜひ神託の盾で活躍してほしいと声をかけたのだ」
思いの外渋くて低い声に驚きながら、後を引き継いだヴァンの言葉には頷くに留めた。
年を重ねた貫禄か、はたまた巨大な体躯によるものか。
少なくとも眼鏡のディストよりは常識的で任務でも役立ってくれそうだと思った。

(・・・ん? ケセドニアのキャラバン隊・・・? 何か見覚えがあるような、ないような)
ケセドニアは、2年前ヴァンと再会するまで主に生活の拠点としていた都市だ。
仕事の見つけ方もお金の稼ぎ方も大体はそこで学んでいる。多分どこかで見かけた事があるはずなのに、思い出せない。
思い出せないならそれでも構わないのだけれど、どうにも引っかかって気持ち悪い。

「ノワール。ラルゴに教団内の案内をしてやってくれ。ついでに手合わせもしておくといい」
「3時からの訓練の前に?」
「そうだな、それがいいだろう。私は少し出かける」
「了解」

荷物をまとめ始めたヴァンを残し、はアリエッタとラルゴと共に部屋を出る。
右隣のラルゴを見上げる。デカい。一体何センチあるのだろう。
肩に担いだ大鎌もきっとには持ち上げる事すらままならないのだろう。
ふと、見上げていた彼と視線が交わる。
見上げるこちらも疲れるが、見下ろす彼も首が痛くなりそうだ。

「・・・何か聞きたいことでもあるのか」
「あー、いや・・・身長いくつですか?」
「昔測ったきりだが211cmだったと記憶している」
「2m超えてるんですね・・・アリエッタ、肩車してもらう?」
「い、いいです」
私は正直してもらいたいけれど、アリエッタは未だに怯えているようだった。
まあ無理もない。100cmも違う男が急に現れ、一緒に行動しなくてはならなくなったのだから。

「ラルゴさんは、」
「ラルゴと呼び捨ててくれて構わん」
「じゃあラルゴ。ヴァンに拾われたって言ってたけど、私たちのことはどこまで聞いているの」
「ノワールについては、導師エベノスの命で神託の盾兵の戦闘訓練及び実地訓練を行っていること、何処であっても黒猫の面を外さないこと。アリエッタは魔物と心を通わせられること、まだ言葉の勉強中だということくらいだ」

本当に最低限しか伝えていない事に、安堵と驚きが同時にやってくる。
下手に詮索されたいわけでもないから私は好都合だが、ヴァンはラルゴをどうやって口説いたのだろう。
身長の高さはもちろんだが、そこら辺に転がっている神託の盾兵じゃ相手にならない程度には強そうだ。キャラバン隊でもその存在は重宝されていただろうに。
昨年から始まったバチカル通いやベルケンドへの出入り、時折姿を消しては大きな苛立ちを持ち帰ってくるなど、ヴァンの行動はどこか不審だ。

そして、それに拍車をかけるように現れたラルゴとディスト。
自分が関与できないところで何かが動いている。面倒事に首を突っ込みたいわけではないけれど、どうにも良くない気分だ。

「ラルゴはなんでヴァンの誘いに乗ったの?」
「・・・詮索か?」
「そうだね。まあ友人として彼の身の回りの人間は最低限知っておこうかなと」
「友人か・・・。少なくとも俺はヴァン謡手の敵になるつもりはない。目的が同じだから協力する、それだけだ」

目的、という言葉を発した時にラルゴの右手は大鎌の柄を強く握り締めた。
意識していたのか無意識だったのかは定かではない。
それでもラルゴにとってそれは今までの生活を捨てるほどの事なのだろう。

「そう。悪かったね、色々聞いて」
「もういいのか」
「また詮索したくなったらその時に聞くよ。それよりも早く手合わせしたいね」
「そうか。・・・ノワールは腕が立つと聞いている。俺も楽しみだ」

修練場を見下ろせる場所に着いた。時計の針は正午を回っている。
午前中の訓練を終えた兵士たちがぞろぞろと引き上げていく。
ラルゴを連れている時点で目立つのも止む無しとはいえ、未だに絡まれる事もあるは人が居なくなるのを待っていた。
両の手を見つめながら握ったり離したりを繰り返して時間を潰す。
仮面の下で上がる口角を抑える事は出来なかった。

ドンドンドンドンッ!
(うるっさいな・・・)
午後8時。いつものように食事をしながら読書に勤しんでいてたはついに本を閉じた。
相手が相手のために無視をしていたのだが、ノックの音はもう10分も響いている。

「うるさい。何? 迷惑なんだけど」
「!? あ、危ないじゃないですか! なんで突然扉を開けるのです!」
「うるさい、知らん。食事の邪魔しないでもらえる」
「キィーーッ! なんなのです! この私がせっかく時間を作って訪ねて来てあげたというのに!」
「頼んでない、うるさい、静かにして」

空中椅子で器用に地団太を踏んで見せるディストにため息を吐いて、仕方なく中に招き入れる。
不躾にキョロキョロ眺め回すディストの椅子を軽く蹴って注意をこちらに向けた。

「それで、何の用」
「昼間、あなたが私作の音機関に非常に強い興味を持っていたようですからね。私も自分の研究でそれはもう多忙極まりないのですが、私の卓越した頭脳とカリスマ性に羨望の眼差しを向ける未来の研究者のためにこの私自ら一肌脱いであげようというのです。このオールドラント全土を探しても私ほど溢れる才能を持つ者は金の貴公子を除いて誰一人としていませんからね!まあ、あなたに見所があれば私の研究についても多少は手伝わせてあげても構いませんよ」
「・・・」
  ええ、ええ、わかりますよ。感動のあまり声も出ないのですね。それも当然のことでしょう。故郷ケテルブルクでは譜術の天才・金の貴公子バルフォア博士の唯一無二の友である譜業の天才・銀の貴公子ネイス博士とはこの私のこと。あなたが感動のあまり言葉をなくすのは至極当然の反応なのです。この運命ともいえる奇跡的な出会いに  

うざい。この上なくうざいうるさいやかましい。
一人でべらべら喋り続ける男に心の中で毒づきながら、今度は男の肩を軽く叩いて注意を向ける。
「名前、ノワール。覚えて」
「ほう、私にあなたの名前を覚えろというのですか。まあいいでしょう、弟子の願いを聞いてあげるのも 師匠(ししょう) の役目ですからねっ!」
「・・・じゃあ明日から譜業と第七音素について教えてね、師匠」

じゃあまた。浮遊椅子のディストを部屋から追い出してはソファに体を預けた。
人の名前くらい素直に覚えろよあほなのかよ、とか、誰も羨望の眼差しでなんて見てないしそもそも仮面つけてるんだからあんたから目見えるはずないだろ、とか。
言いたい事は山のようにあったけれど、すべて飲み込んだのには理由がある。

「ネイスとバルフォア、か」
読み漁ってきた本の中に彼らの名が記された本はいくつもあった。
ディストがダアトに来た理由も今はどうでもいい。
今まで調べてきた事のいくつもに、答えが出るならなんだってしてやる。

扱いの簡単そうなバカで良かったと思いながら、は冷めた食事を口に運んだ。