17.焔の燃えカス

ND2011 レムデーカン・レム・23の日

同じような通路、同じような扉、同じような階段。どれだけ走っても上っても、外に出る事が出来ない。
戻らなきゃいけないのに。こんな場所にいるべきではないのに。
皆が、俺を探している。俺を心配している。俺の帰りを待っている。
だから、だから早く帰らなきゃ。俺の居るべき場所に、はやく。

「・・・ルーク?」
どこか聞き覚えのある声が耳に届く。人気のない廊下の隅に座り込んで体を休めていた俺は、その音の発信源を探した。
スタッ、という軽快な音と共にすぐ後ろに人の気配が現れる。疲れ切った体を奮起させ振り向くと、真黒な衣服に身を包んだ猫がいた。

「誰だ、貴様ッ!」
服装からローレライ教団の人間だと気づいたその瞬間、素早く剣を引き抜いて後ろへ下がる。
本当はもう剣を持ち上げる力も残っていない。だけどここで脱走が見つかれば牢へと連れ戻されるに違いない。監視の目を盗んでようやくここまで抜け出してきたのだ。絶対に捕まるわけにはいかなかった。
例え、目の前にいる相手を殺してでも、俺はバチカルに帰らなきゃいけないのだから。

「そこをどけ・・・今なら見逃してやる・・・」
「見逃すも何も、なんでルークがここにいるの?」
「貴様、俺を知っているのか!?」
「知ってるも何も   ああ、そうか」

相対したその女は納得したように握った右手をもう一方の手に軽く乗せる。次いで顔を覆っていた黒猫の仮面に手を当てた。

「この顔なら見覚えあるかな、ルーク?」
「!? お、おまえノワールかっ!」
「はいはい、声デカい、うるさい、静かに」

左目と顔半分を包帯で覆ったその顔を最後に見たのは、2ヶ月ほど前の事で。
ファブレ公爵邸、ルークの家にヴァン師匠と共に出入りするようになった 神託の盾(オラクル) 騎士団に属するヴァン師匠の部下、ノワールだった。
再び仮面をつけ直したノワールに剣を下ろしかけるも、はっとして再び構え直す。当のノワールは首を傾げただけだった。

「おまえも俺の誘拐に関わっているんだろう! そこをどけ! 俺は帰る!」
「誘拐? なんのこと?」
「惚ける気か! ヴァン師匠の部下のおまえが知らないはずないだろう!」
「いや、知らないものは知らないけど。・・・はあ、何? ルークはバチカルに帰りたいわけだ」

がしがしと頭をかいた後、ノワールは懐から懐中時計を取り出した。文字盤を眺めたかと思うと辺りをきょろきょろと見回し、俺の方へと近づいてくる。
手の震えを押さえつけるように剣の柄を強く握る。ノワールの剣の実力は嫌というほど身に染みて理解していた。
今はまだ敵わない。それでも俺は帰らなくちゃいけないんだ。

「それ、しまって。歩く元気はある?」
「な、何をする気だ」
「ルークがなんでここに居るのかは知らないけど、バチカルに帰りたいんでしょ。だったら早く剣をしまって、歩けるなら黙ってついてきて」

腕を組んで、仮面越しにじっと注がれる視線に戸惑いながらも言われた通り剣を鞘に納める。
次いで差し出されたレモングミを一つだけ摘まんで口に放り込み、踵を返したノワールの後を追った。日が差し込まないこの場所から早く抜け出したかった。
帰れるならなんだって良かった。

ローレライ教団、神託の盾騎士団の本部を出てダアトの街並みを歩く事、約15分。大通りから二本ほど外れた宿屋の一室のベッドにルークは横たわっていた。
情けない事に教団内で力尽きたルークは、ノワールに背負われてこの部屋まで連れてきてもらった。当のノワールは「食料を買ってくる」と言って出て行ったきりだ。
(ルナ) が空に高く昇っている。この時間じゃもう船は出ていない。

「はやく、かえりたい」
泣き言のように繰り返すその言葉に応じてくれる者は誰も居ない。心配させている人々の事を思うとじわりと視界が滲む。
先月の誕生祭で詠まれた 預言(スコア) には、こんな事が起きるなんて一つも記されていなかったのに。
やがてノックの音が部屋に響き、一呼吸遅れて扉が開かれる。慌てて寝返りを打って服の裾で目元を擦った。

「食料と飲み物買って来た。食べられそうなら食べて。疲れてるならこのまま休むといい」
「・・・食べる」
「そう。着替え持ってなさそうだったから適当に見繕ってきた。バチカル行きの船は明後日出航だから、今着てるのは明日洗濯しなよ」

こんな短時間で食料も着替えも船の出航スケジュールも用意出来るのは何故だと聞きたかったが、目の前の食事に気を取られてどうでもよくなってしまう。
空腹が満たされれば急激な眠気が体を襲う。シャワーも浴びていないし着替えても居ないし、歯磨きだってまだなのに。ルークの意識はぷっつりと途切れた。

「ええ・・・寝ちゃったよ・・・」
必要最低限の内装で整えられた宿屋の、お世辞にも座り心地が良いとはいえないであろう椅子の肘掛けに凭れるようにしてルークは眠っていた。
声をかけて肩を揺すってみても起きる気配のないルークを抱えて、は安ベッドまで移動する。汚れた外套、ブーツと靴下を脱がせた後、シャワールームでタオルを温め肌が露出している部分のみ拭きあげる。
上半身だけでも服を脱がして清潔にさせた方がいいだろうかと考えたが、実行に移す事はしなかった。食事の後を片づけゴミをまとめて、すすいだタオルを部屋に干す。

残った食料と飲み物をテーブルの上に置いて、船代と適当な金額のお金の下に手紙を残す。部屋の鍵も置いて忘れ物がない事を確認してから、はもう一度ルークの寝顔を覗き込んだ。
イオン君を寝かしつける時のようにルークの深紅の髪を数回撫でれば、寝返りを打ってそっぽを向かれる。
相変わらず可愛くないなと思いながら、はそっと部屋を後にした。

ND2011 レムデーカン・ウンディーネ・47の日

朝も早くからヴァンの元へ呼び出されたは、10日間ほど滞在していたベルケンド視察での報告書を持参していた。あくびを噛み殺しながら書類の最終確認を行う。
急な呼び出しの際にはほとんどいつも隣にいたアリエッタの姿はない。近々正式に神託の盾騎士団へ入団する事になるらしいアリエッタが、ヴァンの使いでを呼びに来る回数も減っている。自立を促す事が目的だろうか。
彼女の友達であり心を通わせる魔物は更なる魔物を使役する事が出来る。常識や言葉を覚え人との関わりに抵抗を示さなくなってきたアリエッタを、ヴァンはもちろん、軍の上層部も貴重な戦力として数え始めていた。

ヴァンの執務室の前で懐中時計を取り出す。
指定された時刻の10分前を確認し、扉をノックする。

「ノワール奏手、只今参りました」
「うむ、入れ」
「失礼致します」

入室の許可を得、扉を開けて形式的な一礼。その後、顔を上げたの目に映ったのはヴァンの横に並ぶルークの姿だった。
一瞬の動揺は仮面が隠してくれたに違いない。ルークには触れず、ヴァンからの用件の前に報告書の提出を済ませる。彼はずっと俯いたままだった。

「さて、ノワール。20日ほど前、神託の盾本部でルークに会っていたにも関わらず報告がなかったようだが?」
「・・・おっと、私としたことが忙しくてつい」
「まあいいだろう。ルーク  いや、アッシュ。挨拶をしなさい」
「・・・アッシュ?」

ルークに向かって、アッシュと呼びかけたヴァンの瞳の色は読めない。
名指しされた方のルークは手のひらをきつく握りこんだまま俯いている。軍本部で出会った時と同じ服を着て、その日よりもくたびれた外套を羽織った彼は今にも泣きだしそうな雰囲気だった。
重たい空気の中、ヴァンは口元に薄い笑みを引いている。

初めまして(・・・・・) 、神託の盾騎士団第五師団所属ノワール奏手です。  名前を聞いても?」
「・・・・・・」

一歩、ルークに近づき手を差し出す。約10cmの身長差で見下ろした彼の方は小刻みに震えていた。
これはだめか、と手を引こうとした瞬間、差し出した右手を強く握り締める手のひらがあった。

「・・・アッシュだ」
「そう。よろしく、アッシュ」

見上げる翡翠の瞳には薄っすらと涙が滲んでいたけれど、それには気づかない振りをした。
代わりに全力で握っているのか、いい加減痛みを訴えている右手に力を込めた。
アッシュの肩が跳ね、手を振り解かれる。恨めしそうな目で睨みつけられたが痛いのはこっちも同じだと無視をした。

「挨拶は済んだようだな。ノワール、アッシュは神託の盾騎士団への入団が決まっている。案内としばらくの間の世話を頼む」
「了解」
「アッシュ、ノワールは教団内で仮面を外していない。彼女の素顔を知っているのは私だけだ。くれぐれも口外したり仮面を外させるようなことはするな」
「・・・はい」
「ノワール、次の指令に目を通しておいてくれ。以上だ」

受け取った書類を脇に抱え、一礼をして扉に向かう。足音でアッシュがついてくることを確認して廊下へと出た。
アッシュに寝床の場所を聞くと、何も聞いていないと返されたのでひとまずはゲストルームへと案内した。しばらく使われてないのか少し埃っぽい。
換気のために窓を開けて、テーブルの引き出しにしまわれていた利用申請書類を取り出し必要事項を記入していく。アッシュは壁にもたれたまま突っ立っている。

「ねえ、一つ聞いておきたいんだけど」
「・・・なんだ」
「ルークはアッシュでいいの?」

瞬間、壁を拳で叩く鈍い音が部屋に響いた。
ヒビでも入りかねないほどの大きな音に、は書類から顔を上げて燃えるような深い紅を見た。

「良いも悪いもねえんだよ!俺はアッシュだ・・・聖なる焔の燃えカスだっ!」

眉間に皺を寄せて、歯を食いしばって、爪がグローブに食い込むほどに手を握りこんで。全身から立ち上る怒気に混じった悔しさや悲しみの視線を真正面から受け止める。
一つ短く息を吐いて、空欄だったその場所に、新たな名を記す。

「君がそう決めたのならそれでいい、何も言わない。  歓迎するよ、アッシュ。神託の盾騎士団にようこそ」
「ふん、どうでもいい」
「言っておくけど 神託の盾(ココ) じゃアッシュは私の部下になるんだよ。上官への言葉遣いには気をつけるように」
「いっ・・・うっ、うるせえ! 屑が!」

手を差し出さない代わりにデコピンをすれば、バチカルに居た時のような悪態が返ってくる。
少ない荷物を部屋に残して、アッシュに鍵を渡したら案内のために再び廊下へと出る。アッシュが鍵をかけている間にもう一度書類に目を通して、見慣れぬ名前を口の中だけで呟いた。
今、ファブレ公爵邸にいるはずの 聖なる焔の光(ルーク) にはしばらく会えないのだろうなと思いながら、もう一人の友人を思って目を伏せる。

(ガイ、君が恨んでいるルークは此処に居るよ。・・・それでも気づかず、そっちのルークも恨むのかな?)

「おい、ノワール。何突っ立ってる。早く案内しろ」
「・・・はいはい」

さっきまで泣きそうだったくせにとは口にせず、不機嫌そうに腕を組んでいるアッシュと並んで歩き出した。